台湾旅行記〜台風篇

 

8月に台湾に行って以来、台湾にホームシックのようになっていた私は、何とか、10月頃にまた行けないだろうかと思っていた。でもお金の余裕がそれほどあるわけではなく、陳昇のコンサートがあるなどの大義名分も無く、(果たして陳昇のコンサートが大義名分になるのか?)悶々と日々を送っていたところにみーさんから一通のメールが届いた。

”10月半ばにいまいさんと台湾に行こうという事になりました。一緒にいかが?”

私はさっそく返事を書いた。

”行きます!”
友達に誘われたというのは十分な大義名分になるぞ。

みーさんと色いろ検討した結果、彼女たちは4泊5日、私は3泊4日で、ホテルもばらばらで現地に着いてから合流しようという事にした。

そして、エアーチケットの申し込みから、有給休暇の申請などを着々とこなし、安いホテルの情報を集めたり、台湾の網友達にも連絡を取り、食事会や、カラオケ大会のアレンジを頼んだり、デートの(?)待ち合わせを決めたり、ある網友からはキティーちゃんの電話を買ってきて欲しいと頼まれたり、(電化製品は日本の方が安いらしい)さまざまな準備を進めていよいよ明日は出発という日、台湾に台風が近づいている事を知る。

 

台風10号、充分に大きい台風らしい。果たして行けるのか?成田のインフォメーションに問い合わせたが、今のところ欠航などの情報はありませんとのこと。

一日早く行ったみーさんの飛行機は飛んだらしいが。不安になる。

インターネットのひまわりの画像を見ると、いかにも大きな台風でちょうど明日くらいに台湾あたり暴風域に入りそうだ。

 

深夜になり、一人であれこれ考えていても仕方が無いので、旅行会社に勤める知り合いに電話を掛けて、もし欠航になった時の対処の仕方についてアドバイスを受ける。彼女の会社でも、ちょうど私と同じ日に台湾への大きなツアーがあって、今日も台湾といろいろ連絡を取っていたとのことで、担当者の話では、
”国際線は飛ぶのではないか”ということらしい。

どちらにしても望みは出てきたので、彼女にお礼を言ってもう寝る事にする。

さあ。果たして行けるのか?

10/15(木) 東京は晴れ

 

5時前に起きる。準備をして、状況に変化はあるのかと成田のインフォメーションに電話を掛けたが、6時からというテープの声。

これは、空港に行くしかない。行ってみて欠航になるならそれまでの話だ。5時半に、家を出て、スカイライナーの始発で成田へ向かう。

 

成田に着きチェックインカウンターに行くと、何の事はない、普通に飛ぶらしい。

”台湾は、台風来てるようですが、影響はないのですか?”

とたずねると

”今日は大丈夫です。台風の方は明日がひどいようですが・・・・”

という返事。よかった!とりあえず行ける。

出発まで2時間ある。みーさんの家の留守電に行ける事を録音し(台湾から確認してくれることになってた)、台湾のMASAO君(空港に迎えに来てくれる事になってた友人です)に、行ける事を電話し、それからばたばたとMASAO君にお土産として漢字パズルの雑誌を買った。(こんなおみやげでいいのかな?!)

ほっと一息ついて、搭乗待合室で、台湾の網友の蛋蛋にお土産にかってた”伝染るんです””コージ苑”を読む。つい笑ってしまう。

 

9:30発のシンガポール航空。

この評判の良い飛行機に初めて乗る。スチュワーデスの制服がとてもいい。襟ぐりの大きく開いたバテック。

このままシンガポールに行ってしまうのもいいなあ。南のムード満点だ。

飛行機の中でも、漫画を読み続ける。早起きだったせいかそのうち眠ってしまう。台湾の入国カードが配られたのにも気づかず、降りるころに慌ててもらう。(ラジオの英会話入門で覚えたディスエンバーケーションカードという言葉が初めて役に立った。)

台湾に近づくにつれ、窓から見た海の波が高くなってるような気がする。やっぱり台風は着実に近づいているのだ。台湾までは3時間。あっという間についてしまった。

 

パスポートチェックなどを終えて、ゲートを出るとMASAO君が待っていた。今年の1月ぶりの再会。

彼は、今年のお正月に行った陳昇のコンサートでたまたま隣の席だったという縁の人。台湾人だけどお母さんが日本人で日本語が話せる。当時「ニーハオ」以外の中国語は全く話せなかった私のためにコンサート中、陳昇のMCなどを訳してくれてとても助かった。その後一回彼の職場に訪ねていった事がある。この夏仕事を辞めて北海道の日本語学校で少し勉強をして、台湾に帰ったばかり。

2万円ほど両替する。この1週間くらいで急に円高になっていて、旅行者には助かる。

MASAO君の車は、ホンダのアコード。日本でいろいろCDを買ってきたらしく、ミーシャだかがかかっていた。最近日本のポップスにはとんと疎くなってきたけど、みーしゃとか、UAくらいならまだ分る。彼はさすがに日本から帰ったばかり、私の知らない日本のミュージシャンの話もいろいろ知っている。

 

ぽつぽつ雨が降ってきたけど、まだ台風という感じではない。

台北駅の駐車場に車を入れて、ホテルへ。今回のホテルは、日本の友達に教えてもらった安いところで、三越の近くで場所がとってもいい。1泊700元で、エアコンもあり、ベッドメークもしてくれるらしい。一部心配する声もあったが(台湾の友人はそんな安いホテルは危ないから止めた方がいいと言った。)、行ってみると、なるほど入り口には手持ちぶさたにした老人がたむろってるが、フロントの人もいい感じなので泊まる事にする。でも800元だった。

MASAO君に荷物を持ってもらい部屋に行く。窓の外はすぐ隣のビルで暗いぼろい部屋だが、寝るには十分。 「え?こんなとこに泊まるんですか?ちょっと寂しい感じですね」とMASAO君は気の毒そうにしていたけど・・・・・。

 

まず、みーさん達が泊まっている華華ホテルに行きフロントに無事着いた事を伝言する。華華ホテルは私のホテルからとても近いところにあった。わたしのホテル、南国大飯店に比べるととっても綺麗。

ホテルを出たところで、偶然、MASAO君の友人にばったり会った。彼は、近くのNOVAというコンピュータのお店で働いてるらしい。(後でたずねていった)

台風が来る前に日本から頼まれた買い物を済ませてしまおうと、CD屋へ行く。近くの「光南」で全部買ってしまう。ちなみに買ったのは、張惠妹、王菲、YUKIの新譜、(これらは頼まれもの)。郭英男の”サークルオブライフ”、順子の新譜、SHINO、などは自分のために買う。

 

買い物も終え、ゆっくり話でもしようと、三越の地下のコーヒーショップに行き、MASAO君にお土産のパズルの本を渡す。いろいろ近況などを話しながらパズルもする。日本人にとっても手応えのあるパズル、彼には難しかったかも、ちょっと後悔。

網友達に無事ついた事を伝言しようかなと思い、インターネットがしたいと言うと、さっき会った友達のいるNOVAに行きましょうと言う事になる。彼の友達をたずねて聞くと、NOVAの3階には無料でインターネットが出来る(中国語で”上網”という)ところがあるらしい。いくと、10台くらいのコンピューターが並んでいたが、待ってる人もいてなかなか順番がこない。順番待ちをしながら、周さんと言うそのお友達と英語も交えておしゃべり。結局待てども待てども,空かないので、あきらめたけど周さんは持ち場を離れた罰金として100元払う事になったらしい。(ごめんなさい・・・)

 

そろそろご飯でも食べようかと、外に出たらすごい雨になっていた。道路にも水があふれている。根性だして傘さして歩こうとするけど、よこなぐりの雨で何歩も歩かないうちにびしょぬれになる。結局どこにも行く事が出来ず、三越の中でご飯を食べた。もう上着もスカートもびしょぬれ。
ご飯を食べて外を見るとますます大降りなってる。道は河のようになり。バイクは半分くらいの高さまで水に埋もれている。MASAO君は遠くまで帰らないといけない。今日はここで解散しようと言う事になる。6時前の出来事でした。

 

MASAO君と分かれた後、今夜の無聊が心配になった私は、閉店間際の三越で(台風のために6時で閉店になった)雑誌や、絵葉書を買い、コンビニで新聞やお菓子やカップ麺や飲み物を買い込み、膝下まで水に浸かってざぶざぶホテルに帰った。ブーツを履いていたのだけど、全部水が入ってきた。水がなんだか油っぽくてぬるぬるして気持ち悪い。
買い物をしたコンビニにも水が入っていたけどしっかり営業していた。(下の棚の商品はぬれてた) 他のお店は閉店したり水が入らない様に土嚢を積んだり、入ってきてしまった水を掻き出したり。ほんとに大変な事になっていた。

 

ホテルに戻っては見たものの、本来、”寝るだけだから”と思ってた部屋だか ら、寝るだけならいいけど、起きて独りで過ごすにはあまりに殺風景でわびしい。薄暗いバスルームで足と靴を洗ってまた外に出る。 

道を渡るには、また膝下浸水を覚悟しなければならないから、歩道伝いに行けるところで公衆電話を見つけて、アドレス帳見ながら前回の旅行で知り合った人たちに片っ端から電話を掛けた。私も暇だよね。

まず、今夜8時に会う約束していたPATに掛ける。この天気ではとても外出できないと断らなければ。何度掛けても携帯が留守電になってるので、自宅に掛けてみる。実はこのPATと言う人とはインターネットで知り合ったものの、まだ会った事が無い。自宅に掛けるのはどきどきしたが、緊急事態だ。

”日本から来ましたYOKOですが、PATはいますか?”
なんとか中国語で言う。するといきなり、
”あなたは日本から来ましたか?”
日本語だ!そういえば、PATが前にお父さんは日本の学校を卒業したとか話してた事を思い出した。

”おとうさんですか?”

”そうです、PATはまだ会社です。”

”携帯の番号を教えてもらえませんか?”

”ちょっとまってね・・・・・・・”

教えてもらった番号は、私のメモと違っていた。写し間違ってたらしい。

やっとPATと連絡がつく。彼は英語だ。電話ではなかなか細かい事が伝えられないが、何とか、今日のこの天気では、外出は無理でしょう。中止にしましょう。とだけは伝わった筈。

ほっ。

 

夏の旅行ですっかり友達になった蛋蛋に電話をすると、
”会いたいですね。これからボクはきみに会いに行く。(日本語)”
と言う。車はないけどタクシーで行くから大丈夫と言う。会いに来てくれるのは嬉しいけど、ほんとに大丈夫なのだろうか?
”無理しなくていいよ、台風だから危ないよ。”
といったけど、大丈夫大丈夫と言うので8時に待ち合わせをする。

これは楽しい展開になってきた。

そのあと、宜蘭、台南、台北の友人達に電話をした。(といっても私のつたない英語、中国語では、”台湾に来ました。台風だけど無事です。またね”くらいが精一杯の会話だけど)

水が引いてきた。もう膝までつからなくても道路が渡れそうだ。みーさん達は無事帰ってるだろうか?もう一回、華華ホテルへ行ってみる。フロントで電話をかけてもらうがまだ帰ってないらしい。大丈夫なのかな?
とりあえず、予定していた明日の九分行きは、この天気だから分らないかもと言うメッセージを残しておこう。(後で聞いたら、この時みーさん達は、無事ホテルに帰ったあと食事に出ていたそうだ。)

 

8時、待ち合わせのNOVA前へ行く。NOVAではおそらく台風対策であろうか、大きな窓ガラスに真っ白な粘着シートを貼っていた。物が飛んできた時にガラスが飛び散らない様にするためだろうか。

雨の中、蛋蛋がやってきた。2ヶ月ぶり! でもなんかとっても懐かしい。

ホテルの隣の茶店で、おしゃべりをする。持ってきた漫画も喜んでくれた。友人のKAWAも来るように呼んだそうだ。
”KAWAは車がありますから・・・”という。
車??こんな日にどこかへ行くつもりなのか?
9時半頃KAWAがやってくる。(KAWAには私は初対面。明るい人だ。)どこかへ行こうという事になるが。。。一体こんな天気でどこへ行くの?

 

2人はいろいろ相談したりどこかへ電話をかけたりしていたが、結局RBをさそってMINGの家に行くことになったらしい。

(★蛋蛋、KAWA、RB、MINGはいずれも夏に知り合った陳昇ファンの友人達)

 

その前に、私は、私の中で懸案になってた事を相談した。実は今私が泊まってるホテルには門限があるのだ。午前1時だから、普通に過ごす分には気にしなくて良いのだけど、最後の日のKTV(カラオケのことね)大会は、門限を気にしながら遊びたくないなあ。
”土曜日の夜、ホテルは門限があるから、蛋蛋のうちに泊まれないかな?”
と相談すると、今は蛋蛋の車は修理中で郊外にある彼の家では不便だから、RBのうちに泊まるといいと、蛋やKAWAがいう。
”キミはRBのうちに泊まります。ダイジョウブ”
そんなこと、当のRBに相談も無しにいいのかな?とおもっていたら、RBはあっさり良いよといってくれた。ホント気さくな人たちだ。
”ありがとう。じゃあ土曜日の夜お願いね。”というと、

明日から来たらどう??といわれる。それもそうだね。じゃあ明日の夜からお世話になります。

RBとMINGは、ともに陳昇のところで知り合った網友で、RBは英語の先生、MINGは、ドイツに留学経験のあるジュエリーデザイナー(だと思う。例によって私の語学力では今一つ理解できていない・・・)。RBを迎えに行ったとき、彼女は嵐の中、大きなクッキーの缶と、とても良い香りのする紅茶の缶を持って立っていた。なるほど、これからMINGの家でお茶会が始まるのだな。

 

MINGの家へ行くと、ERICというスイス人がいた。MING,ERIC、RB、KAWA,蛋、私の6人で、中国語、英語、日本語、ドイツ語、台湾語入り混じったお茶会が台風の中繰り広げられた。MINGの趣味の良い部屋(すごくおしゃれな部屋、茶器はウエッッジウッドだし)と、初めて会ったのにすぐに打ち解ける人々のおかげでとても気分良く過ごす事が出来た。
ERICは、ゴルフコースの設計なども手がけるガードナーで、中国のシンセンでエキシビションに出た足で友達のいる台湾によったのだそうだ。聞けば数年前に日本、台湾を自転車で旅したという。(日本は鹿児島から東京まで走破したらしい。すごいすごい)KAWAも造園関連の仕事をしているということで、ERICと意気投合していた。

12時をまわった。

ホテルの門限1時までには帰らなければ、とおいとまする。RBに、明日の夜電話する約束にして、住所を教わって別れる。

ホテルについたのは、門限ぎりぎり12:55だった。私のほかにもう一人戻っていない宿泊客がいるらしく、フロントに鍵が2つならべてあった。きっと早く帰ってこないかなあとフロントのおじさんは待っていたことだろう。KAWA,蛋、そしてフロントのおじさんにありがとうとおやすみを言って5階の部屋にあがった。

台風のために、当初の予定から全くずれていった第1日目が終わった。ふう。

明日はいよいよ台風上陸?!さあ、どんな展開になるのかな??

10月16日 (金) 台風

 

 

目が覚めて、時計を見ると、8時だった。この時計は、黄色いBABY−G。時計も持たずに旅行している私に(日本でも時計を持つ習慣がないので、旅行にも持っていかない・・)、昨日MASAO君が貸してくれたものだ。さすが、人気の出たのも分る。腕にはめるととってもしっくりした感じで、そのまま欲しくなっちゃった。(ちゃんと返したけど)

みーさん達とは、夕べのうちに電話して9時に待ち合わせしてるから十分余裕がある。お風呂に入ったり、荷造りしたり。

でも外の天気は、本格的に嵐だ。本当なら今日はMASAO君と一緒に台北郊外の九分に行く予定だった。でもこの嵐で彼は来れるのだろうか・・・・と思っていたら、電話が鳴った。彼だった。

”今日は無理です。家の周り、友達の話だと、1メートルくらい水が出てます。”

とのこと。”じゃあ、無理しないでね。私たちもホテルの周りで過ごすから。お互い気を付けようね。それじゃあ、土曜日にまた会いましょう。”

 

荷物をまとめて、チェックアウトする。チェックアウトはとても簡単。

”我想CHECK−OUT。可以MA?”

外は嵐だが、華華まではほんの1ブロックほど、走っていく。雨はそれほどでもないけど風がすごく強い。途中コンビニと、パン屋さんだけは営業していた。

フロントから電話を入れて、みーさん達の部屋に行く。華華は廊下などもなかなか綺麗だ。

 

やっと会えました。天気が天気なだけに、なんだか感動の再会だ。いまいさんは、みーさんの岡山時代の同僚で、私とは初対面。彼女たちは2人とも、台湾ははじめて。でこんな台風に見舞われてしまったというわけ。ちょっと気の毒。

ホテルをチェックアウトしてきた事情を話し、夕方まで荷物を置かせてもらう事にする。それにしても、台風だ。どうしよう。TV見たり、新聞見たり、パン食べたりしていたが、やはり退屈。ここは嵐を押しても、外出しようという事に決定。映画館はやってるかもしれない。映画館の沢山集まる街、西門町に行ってみよう。

 

まずコンビニへ行って、合羽を購入。傘は役に立たなさそうだし、壊れそうだしで、合羽だけ着込む。

西門町までは、普通なら、ちょうど良い散歩コースって位の距離だが、今日は大変。店は、前述のパン屋とコンビニくらいしか開いておらず、観葉植物の鉢や、看板、がなぎ倒され散乱している。街路樹も枝があちこちでちぎれている。道行く人もまばら、車もまばら、まるでゴーストタウンだ。

雨はそれほどでもなくなってきてたが、時々ひどい突風が来る。その度に看板が降ってくるのではと、柱の影に身を寄せる。こんなとこで頭を割られたらしゃれになんないよねー。途中、中華路と言う大きな道路を渡る歩道橋の上では、遮るものが何も無く、ものすごい突風が吹き付ける。傘をさしていた小柄ないまいさんはほんとに飛ばされそうだった。思わず、”いまいさん!しゃがんで!!しゃがんで!!”と叫んでた。

そんなこんなでやっとのことで、西門町についたものの状況は変らずゴーストタウン。

 

前に来た時には、映画館の周りにはチケットを買う人たちの行列が出来てどこに映画館があるのか一目瞭然だったが、さすがに今日はひっそり静まり返っている。
映画館は営業中のようだったけど、始まる30分前にならないとチケット売り場も開かない様で、しかもハリウッド物しか見つからない。中国語の映画かせめて、話題の”ムーラン”が見たい。ぐるぐる歩き回る。お腹も空いてきた。結局これと言う映画館にたどり着けず、KTVに入らないかと持ち掛けてみる。ご飯も食べられるし。

KTVに行くのは、これで5回目なのだが、まだ良く料金システムが分っていない。入り口で、結構待たされる。こんな天気の日にどう考えてもお客で埋まってる筈はないのだけど。オープンしたてだったのかな?
受付の女の子が、料金の事を説明してくれようとしたが、全く聞き取れず。紙に書いてもらったが、書かれた文字は”清潔費50”というのだけ。全部書いてくれないと分らないのだけどお。と思いつつも、昼間だしそんなに高くもないだろうと適当に決めて部屋に行く。

KTV!KTV!システムは分らなくてもここはKTV、歌えば良いのだ。

リモコンをいろいろいじって、料理の注文もなんとかこなし、牛肉麺や、水餃子や、ルウェイなどを食べながらうたいました。みーさんは、歌手本人の声が出ないものかといろいろやって見てたけど、結局だめだったみたい。香港のようにMTV状態で楽しむ事は出来ないのですね。やはりちゃんと、練習してこなければなりません。いまいさんは、カラオケ自体がそれほど好きじゃないらしく、1曲も歌わなかったけど。大丈夫だったかな?たのしんだかなあ?

 

カラオケも、十分堪能したので移動することに。観光客相手のマッサージやさんならこの天気でも根性でやってるかも、と、いまいさんがガイドブックに載ってるお店に電話を掛ける。彼女は度胸の人だ、はじめから終わりまで全部日本語で通してた。

”やってるって!”。
というわけで、みーさん達が今回スケジュール的に無理かな、と半ば諦めていたはずのマッサージ屋さんへ、タクシーを飛ばす。私たちがKTVをでる頃には、だんだんお客も増えてきてたみたい。みんな考えることは一緒なんだなあ。

そうそう。KTVのお勘定する時に、”お勘定ってなんていうのかな?香港だとマイタンだけど・・・・”なんて話してて、結局誰も分らず、仕方ないので”マイタン”といったら通じたみたいだった。”マイタン”って北京語でもいうのかな?
(後で聞いたところでは、北京語でも言うそうです)

 

実はマッサージは、1年前、初めて来た時に体験していた。”豪門”とか言う名前の店だったのだけど、ほんとに私にとっては”ゴーモン”だった。身体と足と顔を3人係りでやってもらえて女王様気分だったが、とにかく痛かったの。一緒に行った人は、気持ち良かったとか言ってたから、私の身体が不健康で、マッサージむきじゃなかったのだと思う。

という訳で、今回予算もそれほど無い事なので(マッサージやると1万円以上かかっちゃう。)私は、マッサージはパス。みーさん達が受付を済ませたあと、2時間かかると聞いたので終わるまで隣のリージェントホテルでお茶でもしてよう。

 

外は台風だったから(台風でなくても?)、リージェントのラウンジには人がいっぱいいた。隅の方のソファを見つけて、コーヒーを頼み、昨日買ったおびただしい絵葉書を取り出した。さあ、友達に嵐の台湾報告をしよう。絵葉書はよく見たら、台湾のお寺シリーズと、今回行くはずもない高雄、墾丁のものだった。昨日はよっぽど慌ててたのね。

生バンドの演奏を聴きながらすごい勢いで絵葉書を書いていたが、いつの間にやらこくりこくりと眠ってしまっていた。台風から守られた心地よい空間。こんな日には高級ホテルの良さが分るなあ。きもちいい・・・。でも、よだれ垂らしてたかもしれない・・・・・。

2時間が経過し、ざーざーぶりの雨の中マッサージやさんに戻る。みーさんが、鼻の頭を真っ赤にして待っていた。ははあ、さては、1年前の私と同じ目に遭ってるな。聞けば、やはり顔は痛かったとのこと。他は気持ち良かったらしい。むむ、私はよほど不健康なのかもしれないな。今井さんも顔をやった筈なのに、赤くもなく綺麗だった。はて、技術者にもよるのかな?
マッサージやさんにホテルまで送ってもらう。運転手のお兄さんは、一言も口をきかず、ビンロウをかみながらカーステの台湾演歌を聞いていた。

 

ホテルの部屋で、次の行動を検討する。私はお腹が空いて、買い置きの牛肉麺のカップ麺を食べてしまった。次の懸案は夕食。街はどこのレストランもしまってる感じ。大きなホテルのレストランなら開いてるだろう。と思い付き、ガイドブックでそんなに高くなさそうなところと言う事で、兄弟ホテルへ向かう。(タクシーで行きました。つかまえるのにちょっと時間かかった。やはり交通量が極端に少ない。)

兄弟ホテルは、飲茶で有名なレストランがあるところで、前にも来た事がある。台湾料理を食べようと言ってたのだけど、行ってみるとやはり飲茶のレストランの方が賑わってる。受付の女性に”やむちゃ?”とにっこりされてしまい、ふらふらと入ってしまった。こんな時間でも飲茶が出来るんだね。お昼時だけかと思ってました。
広東料理のレストランの筈なんだけど、私の大好物のしじみのにんにく醤油漬けがあった。狂喜して食す。前に食べた”欣葉”のより甘い様だ。でも美味しい。お代わりしてしまった。さらには、日本酒の熱燗らしきものも発見。不思議。私は、このしじみで満足してしまい、あまりたくさんは食べなかったけど、みーさんと、いまいさんの胃袋は頼もしかった。特にいまいさんは、小柄でやせてるのに、よく食べるお方でした。この旅行全体を通じて・・・・。

 

食事が終わって本日の宿RBに電話をすると実家に帰ってると言う。1時間くらいしたら戻ると言うので、また後から電話する事にして、外でお茶でもしようとレストランを出る。まだ雨は降っていたけど、だんだん台風らしさはなくなっているようだ。
開いていたワトソンズ(ドラッグストア)でまたいろいろ買い込んで(いまいさんは、ガムを沢山買ってた。きっと会社の人とかにおみやげとして配るのでしょう。みーさんは、例によって不思議な買い物をしてたような。彼女はいつも面白いものを見つけて買い込むのです)

で、アジアワールドホテルのコーヒーショップへ。あれ!懐かしい。この一角はには何か見覚えがある。1年前初めて台湾に来た時の周華健のコンサート会場ではないか。そうかここだったのか。あのときはまるっきりツアーだったから、位置関係がよくわからなかったけど・・。

アジアワールドホテルは大きな吹き抜けのある綺麗なとこだった。が、雨漏りしたらしく床に大きな布が敷いてあった。

3人でコーヒーを飲みつつおしゃべり、大変だった今日を振り返る。このすごい台風の中全力を尽くして遊んだ感じがする。ほんと上出来だと思うよ。はじめての台湾旅行がこんな風だったみーさんといまいさん、きっと強烈な印象だったことでしょう。

 

RBに再度電話、迎えに来てもらう事になる。みーさん達に台湾の家を見せてもらったら?と提案。一緒に行く事に。迎えにきてくれたRBのお父さんは歯医者さんで、日本に住んでいたこともあるらしく、またもや日本語がぺらぺらなのだった。

RBの家は4LDK、そこにRBは一人で住んでいる。(犬や猫は何匹もいたけど。)ごめんくださいーと入っていくと、またまた、神出鬼没スイス人のERICがいる。これにはRBもびっくりして、どうやって中に入ったのかとか聞いてる。
ERICは、RBの家に荷物を置いてるらしく荷物の整理と着替えに戻ったらしい。(荷物はここで、泊まるのはMINGのとこ。どうなってるのかな?ちょっと不思議。)

後でKAWAや蛋も来るらしい。遅くなったので彼らが来たらみーさん達をホテルに送ってもらうように頼もうと思ってたが、なかなか来ない。みーさん達は帰りが遅くなると少しやきもきしてたみたいだったけど、RBに”RELAX−”とか言われて、亀ゼリーの素とかもらってた。いつのまに?(私も帰国する日の朝に結局もらってしまいましたが。)そのうち、MINGがERICを迎えに来た。みんなで写真を撮る。

 

KAWA達が到着。湯圓も一緒だ。湯圓は以前何度かメールの交換をしたりしていたけど会うのは初めて。”はじめまして。”丸顔で可愛い女の子。首からペンを下げている。

さっそくKAWAに、
”KAWAお願いがあるんだけど・・・私の友達をホテルに送ってもらえませんか?”
と(多分英語で)言った。そしたら、蛋蛋が、割って入って
”ちがいます。うんてんはぼくです。さあ。もう一回おねがいしてください。”
と日本語でいう。はは。可愛いよ蛋蛋!

そんなわけで、みーさん達を蛋蛋と一緒にホテルまで送り、帰りにコンビニで沢山カップ麺とか買い込む。

 

戻るともう真夜中なのに、更に”老狗”(これもあだ名、本名は知らない)がやってきた。夜中のパーティー第2弾だ。一体台湾の人たちの生活時間はどうなっているの?めいめい、カップ麺を食べたり、ギター弾いたり、お茶を飲んだり、インターネットしたり楽しんでいる。

 

わたしも勝手にRBの本棚とかを物色し始める。そこで”三個夏天”のビデオを見つけた。これは、トニーレオンが主演してる香港映画で、みーさんが持っていた広東語版を見せてもらった事がある。どうも陳昇も関係してるらしいのだが、どこを見てもそれらしい感じがしなかったので気になってた。
ビデオを取り上げ、RBに”これ、陳昇が何かやってるの?”と聞いてみた。

RBは、どうして私がこの映画の事を知ってるのかとびっくりした様子だったが、嬉しそうに説明してくれた。

わかった!なんと主役のトニーレオンの吹き替えをしていると言う事らしい。トニーレオンの顔に陳昇の声?!みんなも面白がってる。早速見せてもらう事にした。ほんとだ。トニーレオンなのに、陳昇の台湾訛りの北京語が聞こえる。あろう事か、酔っ払って鼻歌を歌う場面では、新寶島康楽隊の台湾語の歌をうたってる!!!あの〜〜〜香港なんですけど。舞台は。

すごい発見だ(私にとっては)。陳昇いい味でてるよ〜〜。このビデオ何とかして手に入れたい。みーさんに見せたらなんていうだろうか?!(みーさんはトニーレオンのファンだから)などと 野望が膨らんでいくのだった。

 

2時ごろKAWAと湯圓は帰って行った。湯圓は、明日11時から仕事があるらしい。KAWAは仕事がなかったら明日、私たちに付合ってくれるという。みーさん達とはなんの相談も無しだが、それが台湾方式か?私の中の日本人らしい部分がちょっと気にしていたが、すごい好意の固まりのKAWAの申し出を断る理由は見つからない。なるようになるでしょう。

”彼女たちとは明日朝11時に新光三越の展望台の上で待ちあわせしてるからね。”

蛋蛋が、KAWAにデジカメを渡してた。彼は明日仕事で付合えないから、こうやって好意を表したいようだ。

わたしはそろそろ眠くなってきたが、みんなは、まだ寝ない様だ。インターネットでチャットをしていたRBが誰かに誘われたらしく、”お腹空かない?夜食食べに行きたくない?”とか言ってる。とんでもない、もう2時過ぎてるんだよ。RBのベッドでお先に寝させてもらう事にした。(それにわたしの体内時計は台湾とは1時間の時差があるし、かなり眠い)RBが、子守り歌にと陳昇のCDをかけてくれた。ほほほ。

おやすみなさい。

明日は11時に三越の展望台で待ち合わせだ。雨も止んだようだし、台風一過でお天気になると良いな。

10月17日 (土) 台風一過、快晴

 

8時前に目が覚めた。RBはてっきりおなじベッドで寝るものと思っていたが、いない。他の部屋にいるのかもと思って出てみたが、リビングルームのソファで、蛋蛋が寝てるだけ。他は誰もいない。さては、昨夜、夜食を食べに行く話、本当に行ってしまったのか。
蛋蛋の枕元の目覚まし時計が鳴っている。でも起きる気配がない。彼は今日は朝から仕事だと言っていたから起こした方が親切かな?で、起こす。まだ寝ぼけているようだ。ソファの上に起きあがってぼーっとしている。 こんなところはまだまだ子供みたいで微笑ましい。

 

蛋蛋が仕事の格好に着替えて出ていった後、シャワーを浴びたり、犬と遊んだり、なんだかんだしていたが、RBは帰ってこなかった。携帯も置いたままだし。RB宛てに電話もかかってきて、出ちゃったもんだから(RBが私にかけてくるかもって思ったので。)焦りました。

”中国語は話せません!RBはどこに行ったかわからないけど、ここにはいません。”と英語で言うしかなかった。(しかもRBはネット上のハンドルネーム、本名の発音なども知らないのでした)

 

10時まで待って、KAWAに電話した。今日の仕事は休みらしい。(彼の仕事は、野外だから天候によってあったりなかったりするのだそうだ。)11時の待ち合わせを確認して、RBに置き手紙をして出かけた。玄関はオートロックだから問題ない。

表に出ると、ほんとに台風一過。さわやかな秋晴れ。大通りまで歩いていってバスで台北駅まで行く。

 

わあ、久し振りのバス。なんだかうきうき。天気も良いし。道には、折れた街路樹の枝とか散乱してはいたけど。 一人で街を歩いてると、旅行してるんだって気分が盛り上がって、とても爽快。

台北駅前で降り、インターネットが出来るかもと駅舎の中へ。あったあった、ズラリ並んだコンピューター。”受付にIDを預けてください”とか書いてあるようだ。受付にパスポートを預けて、いざ、初体験の街角インターネット。検索ページから順々に飛んで昇網までたどり着き、留言板にメッセージを残した。

今夜は昇網の人々と食事&KTVの予定だ。

 

朝ご飯がまだだったので、三越デパートの地下で何か買っていこうとか思いながら地下へ降りる。入り口のマクドナルドの女の子と目が合った。にっこりと”歓迎光臨”と言われてしまったら、ふらふらとカウンターまで行ってしまっていた。あの手の女の子の(男の場合もあるけど)笑顔には弱いなあ。ほんとは、マックとかではなく、台湾風味のものを買うつもりだったが、せっかくだから、美味しいと評判のチキンを頼む。辛いのと普通のがあるらしい。勢いで辛いのにしちゃったけど、一個ずつにすれば良かった。旅行っていつもこういう小さな後悔の積み重ねだね。

マックの袋を提げて、展望台の切符売場へ。TVモニターでは、任賢齊のMTVをやってた。11時を少しまわって展望台へ。遅れたかなと、ぐるっとまわってみたけど私が一番早かったようだ。ほっとして、ベンチに腰掛けマックを食べ始める。今日は、展望日和。お客はまだ少ないけど、景色はとても良い。

コーヒーを飲んでチキンに手をつけようかと言うところに、みーさん達がやってきた。朝から、龍山寺とかに行ってきたそうだ。 さすが!行動力あるー。

チキンはなるほど美味しかった。鶏が違うのでしょうね。

 

みーさん達に、こんな天気が良いから買い物とかだけじゃもったいない。郊外(淡水とか)行ってみない?と提案。行こう行こうということになった。

全方向の景色を楽しんだ後、RBに電話する。やはり、夜中に(朝方?)ご飯食べに出かけたとの事。 タフだなあ。

KAWAにも電話する。

”ごめん、遅れてます。後10分くらいかかりそう”とKAWA

”じゃあ、わたしたちは、もう下に降りてるね、三越前のライオンの像のとこで待ってるから”

 

みーさん達は三越地下の食料品売り場で、お土産にする食材の買い出し。わたしは、ライオンのまえでKAWAを待った。ライオン前はハチ公前のように人でごった返している。しばらくしてKAWAが来る。みーさん達が来るまで植え込みの石に腰掛けていろいろしゃべる。

KAWAは、とっても丸い頭をしてる。そして台湾には珍しい長髪。外での仕事だからだろうとても日に焼けてがっちりしている。外見は、一見ちょっと、根本要。少し怪しい感じもある。でも話して見ると、ものすごい常識人で、いいひと。
それにKAWAは英語のレベルが私と同じくらいなので、話しやすい。(RBみたいに英語がうますぎるとついていけないこともしばしばだから、)彼女の事とか(KAWAの9年付合ってる彼女は今オーストラリアに語学留学中)、私の彼氏探し(!)の話とか、何だかんだ話してるうち、みーさん達が、大きな買い物袋を下げて現れた。見ると何だかいろいろ買い込んでる。重たそう。

 

2人分の買い物袋(まじで結構な重さだった)を、KAWAは一人で持ってくれて(いいヒト)、CD屋にも行く。

私は、陳昇のVCDを買おうと思ったけど見つからない。お店の人に聞くと売り切れとの事。あれ〜・・・。しかたないので伍佰のVCDだけ購入。 みーさんは、ちょっと割高の香港物とか買ってたみたい。やはり彼女は香港方面の人。。かな?

いまいさんは中華POPSには特に興味はないらしかったが、テレサテンとか買ってた。レオンライ好きの友達へのお勧めは何だろうと聞かれて、張信哲を薦めたけど、どうだっただろう。(後で思ったけど、王力宏とかを薦めれば良かったかも。顔の長さがにてる?はは)

荷物をいったんホテルにおいて、いざ淡水へ。

 

電車の方が便利だろうと言う事で、台北駅から淡水線に乗る。初体験だ!電車の中で飲もうとKAWAが飲み物を買ったのだけど、飲食禁止の啓蒙ポスター(子供が書いたやつ)が、地下道いっぱいに貼ってあったものだから、KAWAはひたすら恐縮していた。(で、飲み物はちゃんと淡水についてから飲みました。)

淡水駅に着き、船着き場の方まで歩く。途中は屋台がいろいろ出ていて、ゲームなんかもあった。

KAWAが臭豆腐を買ってくれる。私は、結構好きだけど、みーさん達はどうかな?(今までの長い付き合いの中でも、彼女が嫌いな食べ物はわたしの記憶にない。多分これも大丈夫な筈。)

はじめは、臭いといっていたいまいさんだったが、食べだすと、結構イけると思った様子。みーさんは言うまでもない。

”全部食べると、他のものが食べられなくなるから。残した方が良いよ。”というKAWAの提案を受け入れたのは、私だけで、結局、彼女たちは、綺麗に平らげてた。りっぱ!

それから酸梅湯。昨日、コンビニで買った紙パックのをみーさん達に飲ませたらやたらと不評だったけど。”本物の酸梅湯はこんなんじゃないのよーー。”を証明する事が出来たようだ。

次に食べたのは、巻き貝のピリ辛にんにく醤油漬け。ビールにあいそう!あと。”阿給””魚丸湯””鐡蛋”など。次々に淡水名物をKAWAが買ってきてくれる。どれもおいしいけど、とてもじゃないけど食べきれない。でも、やはりみーさん達は食べていた。(でも良く考えたら、私が食べられなかったのは、マックのチキンののせいではないのかな?この旅行記書いてて思い出した)

 

今日はやりたい事が沢山ある。

ゆっくりしたいところだが、淡水も雰囲気だけ味わったところで、また電車で台北に戻る。

台北駅に着いて、KAWAが車をどこに置いたか忘れてしまって、地下の駐車場でうろうろしてしまった。

そこで、KAWAがひとこと”アタマコンクリー!”

どうも、自分がばかだ。ということを言いたいらしかったが、そんな日本語、日本じゃ使わないよ。では、”あたまこんくりー”のことは日本では何というのかと聞かれたけど、うまく答えられなかった。3人で考えて、”あたままっしろ””あたまうに”とか言ってはみたけど。いまいち、ちがうよね。

 

つぎは、念願の茶芸館。

ガイドブックで調べた店にいくつもりだったけど、今日は普段の台北に戻ってしまっていて、すごい渋滞。

初めていく店では、探して迷ったりするかもしれないと思って、前に行った事のある゛耕読園”に向かう。しかし、今度は駐車スペースがない。ぐるぐる回って、何とか離れたところに停められた。

以前ここに来た時には、日本人3人で、誰もお茶のいれかたを知らなかったから、お店の人が教授してくれたが、今回は、KAWAがちゃんとお点前をやってくれた。すごいすごい。KAWA曰く”台湾人なら誰でも出来るよ”へえ。そうなのかな?ま。日本でも、煎茶くらいなら、誰でもいれられるけど。

ピリ辛の枝豆と、甘い梅をお茶請けに頼んで、肝心のお茶はいまいさんが指名”高山茶”阿里山とかで採れるお茶らしい。美味しいお茶でした。

 

そこへいきなり、蛋蛋がやってきた。びっくり。え?何でここにいるのがわかったの???どうやらKAWAと携帯で連絡とってたみたい。(きっとみーさん達には蛋蛋は、神出鬼没に思えた事でしょう。)
手にはCD屋の袋を持っていて、私に”これ・・”といって、くれる。開けてみると、昼に買い損ねた陳昇のVCDだ。ああ、これもKAWAから連絡が行ったのだろう。”YOKOが、VCD買おうとしたら売り切れてた”とか何とか。もう、ほんとにアリガトウ!!
次の予定(夕食会)の時間が迫ってるということで、まだ一巡くらいしか飲んでなかったけど、店を出る。

本当なら、お茶やさんでは2時間でも3時間でもお茶を飲みながらおしゃべりしていたかったけど。また今度ね。

またまた、KAWA達が払ってくれそうだ。みーさんや、いまいさんは、それはいけない私たちが払う。とがんばっていたが、無駄な抵抗だった。(私は、すっかり諦めモード)これで、あなたたちもしっかりおごられ仲間、彼らが日本に来た時には呼ぶから一緒にごちそうしよう!!ね!

 

さて、今夜の夕食会は、やはり蛋蛋に頼んでアレンジしてもらったもので、場所は、東区の火鍋屋”肥牛”。

この日のために毎晩、インターネット昇網で宣伝活動をしたのだけどさて誰が来るのかな?しごとで遅くなる人たちは、このあとのKTV大会に来るらしい。

”肥牛”に行ってみると、まだ蛋蛋とROACHしか来ていない。ROACHは、前回もKTVに来てくれて、帰り際にカタツムリの写真をくれた淡水の大学生(なぜカタツムリ?)。軍事オタクらしく(兵役とかのある台湾で、この表現は適切でないかもしれないが)日本から戦闘機の本を買ってきてくれと頼まれていた。結局取り寄せないとだめだったから今回は間に合わなかったけど。ROACHは数日前にNETで話していた、自分のとった淡水の夕日の写真をくれた。

しばらくして三々五々集まってきた。KS,湯圓、NOBEL( 彼は渋谷の地図の入ったT-シャツを着ていて私たちにおもちゃにされてた)、MASAO君も彼女を連れてきた。彼女はとっても可愛い。老007、青鳥、RB・・・・・(これらは全部いわゆるハンドルネームというやつです。全員網友だから・・・)  

店は、小さくて庶民的な感じ。8人がけくらいの丸いテーブルが5〜6台あったか?私たちはテーブル2つつなげて、一つは、辛い鍋、もう一つは、辛いのと辛くないのと2色鍋にした。いまいさんは、辛いのはあまり得意じゃないらしい。

 

蛋によると陳昇や、伍佰も来る店らしく壁に伍佰のポスターが貼ってあった。

 

麻辣火鍋は、初めて食べる。お肉や、野菜やはんぺんみたいなのやいろいろ入れる。調味料と薬味はテーブルにはなくて店の中央においてある。辛いのを食べるなら、緩和させるのに酢をいっぱい取ると良いよとKAWAのアドバイス。なるほど、酢と辛いのはなかなか良く合う。でも結構辛い。

何より辛かったのは、お店の人がサービスで出してくれたとか言う皿の方。私は、タイ料理とか韓国料理とか辛いの大好きだけど、食べられないくらい辛いのもあった。とくに最後にまわってきた緑の唐辛子を炒めたのは、ほんとに泣くほど辛かった。お行儀悪いのは分ってたけど、ティッシュで口の中ぬぐってしまったよ。

 

さて、宴もたけなわになった頃、遅れてきた人の車を駐車しに行って、外から戻った蛋蛋が、
”YOKO、これからBOBBY(陳昇)がここに来ます。僕が10万円彼にあげましたから・・・”と、冗談のようなことを言う。

”え?!どういうこと?”

”BOBBYがここにきますよ。”
”え?!ほんとに来るの?”
”はい”
”え?!え?うそ〜〜〜〜〜〜!!だめだめ心の準備できてないから。わたし、もう帰る!”

などと騒いでいたら、恨情歌(陳昇のバンド)の、ギターの人(陳傑漢)とベースの人(趙家駒)が入ってきた。

あれれれれー、これは現実なんだ、彼らが、私たちのテーブルによったので
”HELLO,YOKOです。”
と挨拶する。趙家駒は愛想良しだったが、小傑は反応なし。まあいいや。

 

で、その後時間差で、陳昇が入ってきた。水色のTシャツに短パン。
あ、本物だ。陳昇は、私たちのテーブル(入り口近くにあった。)を一瞥して、ファンだと分った様子で、嬉しいような、いやな様な複雑な顔をした。

ドラムの小李、林秋伊、楊老師もやってきた。

予期せぬ展開。
”陳昇には会いたいけど、会っても何話たらいいかわかんないし、きっと緊張して何も話せないだろうなあ・・。まあそんな心配しなくても会う事なんてないんだよね。”なんて、台湾に発つ前、友達と話してたばかりだったのに。こんないきなり偶然会ってしまうなんて。(当然蛋蛋が10万円払ったわけではありません。まったくの偶然)

 

みんなは、陳昇がいても別にこれと言って騒ぐ事なく、普通に食事を続けていたが、わたしは一人で呆然としていた。(と思う)半ばパニックになってるわたしに、KAWAが、
”YOKO,折角日本からきたんだから、陳昇に挨拶してこよう”という。

MASAO君が通訳してくれるといって、3人でビールの瓶を持ち(この辺は日本の宴会の作法と一緒だ)陳昇達のテーブルに行く。

会話は全部中国語だったから、ここからは想像

KAWA”お食事中、すみません。日本から昇迷の女性が来てます。ちょっと挨拶させてください。”

MASAO”彼女は、日本人ですけど、あなたの大ファンでお正月のコンサートにも来てたんですよ。。”とか何とか。

わたし”ニーハオ、ウォーヘンガオシン・・・・・・・・・・・・絶句”

で、陳昇はこのテンションの高い闖入者にちょっとタジッてたみたいだったけど、ちゃんと耳を傾けてくれて、KAWAがビールの瓶を持ち上げると、きちんと立って乾杯してくれた。よく映画とかで見る中国式の乾杯、飲んだ後、ちゃんと飲み干しましたよ、とグラスの底を見せるしぐさをするあれです。これも初めての体験だった。

その後、MASAOが”何か話したい事はないですか?”と聞いてくれたが、乾杯してもらっただけでもう胸がいっぱい。

”いえ、もう充分です。有難う”と、逃げるように自分の席に戻った。それからは、心臓がバクバクしてるのを収めようと、ビールをがんがん飲んでしまった。しかしこれだけではすまなかった。

 

テーブルに戻り、食事を続けていると、誰かが陳昇の夏のコンサートの写真をくれた。その写真を見たKAWAが、

”YOKO,この写真にサインが欲しい?”と聞く。

”勿論欲しいけど・・・”とわたし。

”じゃあ、もらっておいでよ。”

”えええ。もうそんな勇気ないよー。”

”じゃあ、この写真にはKAWAのサインを書いちゃうよーー”

”わー!だめだめ。わかったよ。行ってくるよ。”

”サインくださいって言うのは、中国語では○○○○○というんだよ。(中国語忘れました。)”とMASAO君。

テーブル中から、”YOKO,がんばれ!”コールも起きるし、また行きまし た。陳昇達のテーブルに、今度は一人で。

 

陳昇の顔見たら、教わったばかりの”サインください”の中国語はすっかり飛んでしまい、"Excuse me..May I have your sign please?"と言ってしまってました。(ちなみにこれも正しくない英語らしい。)

陳昇は、またまたニコリともせず、サインを書いてくれた。

でもなぜか”BE COOL”って書いてあった。これは、私に、落ち着けと言ってるのか?わ、恥ずかしい。(後から得た情報によると、陳昇はいろんな人にサインするときこう書くらしい)サインしてもらってると、誰かが(みーさんかな?)”写真いいですか?”といって、2ショットの写真までとってくれた。

ああ、いい友達だ。ありがとう。私は舞い上がっててそんな事思いもつかなかったです。

 

うれしいのと、酔っ払ったのと、料理が辛いのとで、その後は半べそ状態でした。陳昇達、迷惑に思ってないといいなあ。お騒がせしました。

そして皆ありがとう。

お店を出る時、もう一回陳昇達のテーブルに手を振った。(陳昇もちゃんと手をふりかえしてくれた!)

私の行動は、狭い店の中、やっぱり目立ってたんだろう、お店のオーナーに、”美味しくて、そして辛い料理をありがとう”と言ったら、

”今度MR,CHENがうちに来る時には、またあなたに連絡しますよ。”とかっていわれた。はずかしい・・・。

 

さて、9時半くらいだったか、つぎのKTVも予約してあるということで、移動。みーさん達は、あしたも早いからこれで、帰る事になる。(と見せかけて、実は士林夜市に繰り出していたらしいが)
お酒を飲んでいないEVANに、送ってもらう。彼女達とは、ここで、お別れだ。台風で大変だったけど、で、最後は陳昇遭遇でパニックになってしまったけど、楽しんでくれただろうか?だといいな。

KTVに行くと、もう既に始まっていて10人以上が歌っていた。

CLOVERがいたので、頼まれてた、キティーちゃんの電話機を渡す。30500円だったのだが、ちゃんと日本円でお金を用意してくれてた。(もっともコインはないので31000円だったけど。)運良く500円玉持ってたから、いらないと言うCLOVERに、せっかくだから記念にと500円を渡す。

CLOVERは、高校1年生だから、しばらくすると、お母さんが迎えにくるらしい。私も挨拶に降りていった。きっとこのお母さんとは私はいくつも違わないんだろうなあ。

台南から顴頭も来てきた。あんまり話が出来なくて残念。

 

カラオケは例によって例の如く。陳昇の歌中心で、盛り上がっていった。でも今回は、私はおしゃべり中心でほとんど歌わなかった。(マイクは握らなかった。)

昇網カラオケ初参加のMASAOは、感動してた。彼は、普段友達とカラオケ行っても、誰も陳昇の歌を歌わないのだそうだ。こんなみんなで、陳昇の歌が歌えるなんて!!と、何度も言ってた。ホントホント、私も同感です。わたしも日本に居たら陳昇のこと知ってる人なんて一握りだけだもの。

カラオケの後、温泉に行くとも行ってたが、皆疲れてるのと、車が足りないのとで、解散になる。

RBの家に帰って、寝る。

 

10月18日(日)

ゆっくり起きて、荷造りして、KAWAに空港まで送ってもらって帰る。

それ以外に何かしただろうか?

夕方の飛行機だった筈だが・・・覚えていない。

かなり燃え尽きていたようです。

 

後日談、私は運良く飛行機が飛んだけど、次の日は国際線も欠航だったらしい。 得難い体験だったけど、もう2度と台風の中の旅行はしたく無いなあ。

 みーさんに撮ってもらった陳昇との写真は10枚も焼き増ししてもらいました。こんな偶然2度とはないでしょうからね。

※この旅行記を読んだ人から数人に「陳昇にあったのはほんとは偶然じゃないんでしょ?」と言われましたが、ほんとにこれは全くの偶然です。確かに「陳昇達もよく行くらしい」と言うレストランではあったのですが。そのレストランによく行ってる人も「ホントに陳昇に会ったのはあの時がはじめて」なんていってましたし。

幸運に感謝!なのです。

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