台湾報告 2001.9.14〜9.17 台中〜鹿港〜台風

行ってまいりました。台湾旅行。今回のメインはもちろん「陳昇コンサートin 台中」。ですが、コンサート翌日の「団体旅行inボビーの故郷」という企画も前まえから楽しみにしていたものだったのでした(といいつつ、ほとんどの行程は当日現地で決めたのですけどね。)

1日目

中華航空で羽田から台湾入り。中正機場に到着して、その足でバスで台中へ向かいました。台中へのバスは「飛狗」。大きな肘掛のついた座席が豪華です。車内では映画の上映もあります。スピーカーがあちこちについててごくうるさくて眠れません。しかも上映していたのが「アルマゲドン」3日前のニューヨークのテロを思い出させる画像(NYのビルが崩壊するシーンとか)にちょっとげんなり。

台中にははじめて来たので、終点がわからない。高速を降りて何ヶ所かに停車していたけど、もちろん車内アナウンスなどは無し。「終点に着いたら教えてくれるだろう」とタカをくくっていたら、甘かった。ある停留所に着いた時、ずーっと座っていたが一向に動かないので、運転手さんに「台中駅ですか?」と聞いてみる。「そうだ」とのこと。なんだよ〜教えてくれよ〜。と思いつつ、荷物を持って下車。

台中駅の駅舎へ。前日から台湾入りしていたCOMOさんやEIGOさん、それに台湾人の蛋蛋、メイさんたちが自強号で到着するので、しばらく待つ。到着の改札口で彼らと合流。台中駅前の「富春大飯店」という安いホテルへチェックイン。ツインで1200NT。そうこうするうち、別の便で台湾入りした、うめさん、しおんさん達も到着。他のホテルに泊まる人もいるので1時間後に台中そごうの前で待ち合わせに決めて、解散。

ホテルは、駅前で便利。でも台中のホントの繁華街は駅前ではないらしい。タクシーで繁華街のそごうへ、スタバでコーヒーを飲む。同室のチャッピーさん(関西から参加、初対面)は日本から持参した浴衣に着替えている。この姿でコンサートに行くのだそうだ。気合入ってる〜!当然、そごう前でも浴衣は目立っていた。

コンサート前に、ご飯を食べようとそごうの上のレストラン街で食事。

 

コンサート

先ずはなんと言ってもコンサート。会場は台中市中山堂です。市民会館みたいな感じのホールで、席もゆったりとしていました。音響はイマイチでしたけど、ゆっくり見られるのは、ホントいいですね。私の隣には浴衣の美女が・・・!!席は前売りでネットでの購入が可能でした。(台湾のコンサートでは、画期的!)しおんさんに手配をお願いしました。ありがとうございます。

コンサートの模様は、また改めてアップさせていただきますが、今回もすばらしい構成できかせてくれました!ゲストは台湾歌手の大物「文夏」さんと「文香」さんご夫婦。8時頃から12時頃までいつも通りの長丁場でした。オープニングは「我不再譲NI孤単」ラストの曲は「一百萬」でした。曲目リストは、そのうちしおんさんからとどくことでしょう。コンサート終了後の記念撮影→、浴衣の美女が見えますか?

コンサート後はファン仲間と夜食を食べに行きました。
多分地元の人が連れて行ってくれた、地元料理のレストランでした。野草料理がおいしかった。ここではCOMOさんの椅子割り事件が!そのうちその証拠写真をアップいたします。(笑)

 

台湾中部紀行

翌日、台湾の友人連と日本からの参加者合同で「陳昇の故郷も行くよ、台湾中部の旅〜鹿港篇」。日台あわせて14名の団体旅行に出かけました。台中からまず汽車に乗って「員林」へ、そこで台湾組と合流し,車3台に分乗して「鹿港」へ。「鹿港」は清朝時代から開かれた古い港で今は古いものを見に行く観光地です。もっとも古い龍山寺とか台湾の馬祖の総本山「天后宮」など見所が狭いところに詰まっていました。

←龍山寺は残念ながら、改装中で中は見られず。「台湾の紫禁城」と呼ばれる美しさだとのことです。

 

鹿港の風景-1.摸乳巷〜左の写真を見ていただくとわかるように、すごく狭い路地です。すれ違うときにお互いの胸が触れ合っちゃうと言う様なことからそう呼ばれているらしいです。
頭がずらり!
摸乳巷
摸乳巷
摸乳巷の意味?!

鹿港の風景-2. 九曲巷、くねくね曲がった路地です。また、道ばたで線香作っていました。クルクル巻いてて蚊取り線香みたい。屋台めぐりもまたたのし。金城武がJAAのCMで話している「米苔目びーたいば」はKAWAによると「アイスうどん」だそうです。

九曲巷の井戸(なつかし!)
九曲巷
線香作り
鹿港のお菓子売り
ここではデザートを食べましたよ。

 

鹿港のあとは 、陳昇の生まれ故郷「渓州」へ。のんびりとした田舎でした。畑と田圃と水路が印象的でした。「こんなところで大きくなったのか〜」と感慨もひとしお・・・というようなことはあまりなく、ただの田舎だったのでした。何の変哲もない、田舎道に車を止め、みなで畑を見ながら10分くらい空気を吸いました。畑に植わっていたのは落花生、トウモロコシなどでした。

 

「渓州」のあとは田尾というところに行きました。ここは園芸農家が多く「田尾公路花園」と呼ばれる地区には、その園芸農家が出しているお店が道の両側に延々と並んでいて壮観です。私たちの一行は、その中の「伊藤園」というお店へ。ここは陳昇ファンのKAWA&美腿の家です。←伊藤園に付属する「春天珈琲館」の前で記念撮影。人数が増えてる点に注目。

KAWAの部屋でプロにキーボーディスト(陳昇のバックの人)の目前で、「鼓聲若響」を演奏するCOMOさん。→

 

 

■おまけ「台風」
16日から台北に行くことになっていましたが、台風もやってきました。16日は朝からすごい暴風雨の中、自強号で台北入り。ついたときにはもう傘もさせないほどの嵐になっていました。結局台北ではほとんどどこにも行けずに、駅の地下街で買い物したりホテルで食事したり。台風はとてもゆっくり近づいてきているという話で「もしかして明日飛行機飛ばないかも・・・」と思いながら、今夜の宿である友人宅(台北市内湖地区)へ地下鉄で向かいました。淹水後の路地〜
ここで任賢齊を目撃→

深夜、四方山話をしていたら、いきなり停電。仕方がないので、真っ暗な中ろうそくをつけて、洗面して就寝。
翌日にも電気は復旧せず、ポータブルラジオで台風情報を仕入れる。電話で別のホテルに泊まってるしおんさんやCOMOさんとも連絡を取りながら無事を確認。一番心配だったのは、飛行機が飛ぶかと言うこと。航空会社に電話するけどなかなかつながらない。ラジオでは「遅れる」との報道。結局、空港で確認しようと言うことで、空港へいってみたら、遅れつつも国際線はほとんど問題なく飛んでいました。上の写真は17日のお昼頃、泊まっていた友人宅の周りの状況です。友人宅は少し高いところにあるマンションだったので、浸水は免れましたが、少し路地を下りていくともうすっかり冠水していました。山が背後にせまってるため、土砂が大量にたまっていました。
←基隆河・・・・・・空港に向かう高速の上から。

 

補記:16日の夜までは動いていたMRT(地下鉄) も翌日から冠水して不通となり、復旧には半年かかりそうだとか。上の写真では氾濫寸前の基隆河も翌日には堤防が決壊したようで、台北の中心地もことごとく浸水したらしいです。いろいろなところが未だに復旧していないようです。

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