1998年陳昇跨年コンサート |
1998年1月1日午後6時45分。台北国際会議中心(TICC)へ。
入り口でカメラチェックをやってました。
何をしに行ったかというと、陳昇のコンサートを見に行ったわけです。 まだ当時は、コンピュータも持っておらず、インターネットもやっていなかったのですが、知人から陳昇のコンサートがあると教えられ、いても立ってもいられなくなりました。 パソコンを持ってる友人宅に押し掛けて、インターネットで、注文方法を調べてプリントアウトし、家に帰って辞書を片手に、なんとかわからない中国語を解読して、申込用紙を書いて、FAXでチケットを申し込み、年末の高い飛行機代を払って、大晦日に台北に一人でやってきたのでした。 ---始めての台湾への一人旅、コンサートが終わって一人でホテルに帰るのコワ〜イ!
私の席は、6列目の9番、日本からFAXで申し込んだチケット1500NT(約6000円)。 9番なんてどんな端っこかと思ったら、ここの席順は中央から1.2.3・・・・と左右に広がっていく方式だったため、真ん中のブロックの中心から5番目のいい席でした。 ---その後いろんなところに行きましたが、台湾の席順はほとんどそうみたいですね。
当時、陳昇のファンなんてまわりに一人もいなかったので、 「どうしても陳昇を好きな人と話がしてみたい!」 ということでとなりのお兄さんに話し掛けてみました。 うーん、いきなりコユイ人にあたってしまいましたね。 ここにいるのはみんな私と同じ「陳昇ファン」なんだ〜〜〜!!
8時近く、コンサートが始まりました。
ドキドキ、初めての生陳昇です。
今回の陳昇はすごい格好。 青く塗った髪の毛をパンクに逆立て、黒いシースルーのシャツ、腕にはタトゥー、ぴちぴちのスリムなパンツ。
1曲目は「関於男人」。 大きなアームチェアーに沈み込むようにして歌ってます。 「え?こんな感じなの?挨拶もなし?」
けだるい、JAZZYなアレンジで何曲か歌った後、劉若英が出てきました。可愛い。 この間、陳昇と恨情歌のお兄さん達は休憩していたらしいのですが、舞台のそでからお酒を持って来て、乱弾のメンバーになんくせつけて飲ませるといういかにも東洋的な儀式(?)もありました。 YOKOの想像によるMCの内容 そのあと「乱弾」が台湾語ロックなどを何曲か歌いました。ちょっと伍佰チック。
コンサートはどんどん進み、中盤で陳昇が着替えて出てきました。 でもそんな服でも歌うのは「最後一次温柔」「把悲傷留給自己」などの懐かしラブソング。
それからどうなったか、曲名などはあんまり覚えていません。 わたしの席のちょうど真ん前に、ステージが少しせり出していて、何度もそこに立って歌ってくれたので、かなり熱い視線を注いでいたことは、ぼんやりっと憶えているんですけど(笑)
任賢齊や、陳昇の事務所の新人達、阿VONなどが登場してそれぞれ歌いました。 トレイシーホアンも出て来て、持ち歌(今にして思えば「我曾愛過一個男孩」をうたってたんだろうな〜)のほか、陳昇とデュエット(「離開NI走近NI」)もしてました。
陳昇のヘンな衣装はその後も何度か変わりました。 黒のランニングシャツに白黒グレンチェックのスリムパンツに真っ青なジャケット。 変な顔が書いてある白と赤と青のTシャツ。 髪はその都度、撫で付けたり立たせたり、青くなったり。
延々と歌い続けて、終わったのは12時過ぎてました。ふーーー。 わくわく・・・というより、ボーゼンって感じでした。 わたし自身が思いっきり緊張していたせいもあると思うけど、なんだか寂しい気がした。 コンサートの間中、あんまり笑うことも無く、厳しい顔付きの陳昇だった。 一言で言うと・・・ 「陳昇こわかった。」
1998年1月2日、わたしにとっての2日目。(コンサート自体は3日目の最終日)
開演前に受付で売っていたTシャツを購入。300NTでした。ポスター付。
会場に入ると、昨日隣だった人も来ていて、手を振ると気付いてくれました。 なんだか連帯感。 今日の席は、3列目の10番。
今日の隣の人も、一人で来てる人みたい。 すると・・・・いきなり今度は、「日本人ですか?」と日本語で聞き返された。
聞けば、彼はお母さんが日本人だとのことで、日本語がしゃべれる人だったのです。 ---この彼がそのずっとおつきあいすることになる「MASAO」くんです。
日本人が一人でこんなところに来てるって言うのが、オドロキだったらしく、 「どうして陳昇がすきなんですか???歌詩の意味が分かりますか?」 など、いろいろ聞かれた。彼も毎年見に来てるらしい。
コンサートは昨日の通りに始まりました。 1曲目は「関於男人」。
昨日の緊張感もいくらか和らぎ、今日は結構楽な気持ちで見ることができます。 構成は、昨日とほとんど同じ。 ゲストがちょっと増えてて、カレンモクが出てきたり(すっごくスタイルがいい!のね)、 6人いる新人も昨日歌わなかった人が出てきたりしたところが違ってました。 あと、王識賢が出てきた。
陳昇も昨日よりいい顔してる・・かな? ---ほんとに「射るような」「心を見透かされるような」そんな目をしてるんですよ!
それでも最後の方、「SUMMER」では、会場総立ちになって観客のノリも良くすご〜〜く楽しかったのです(前日はは誰も立ちませんでした)。 ---「SUMMER」が始まって、陳昇が客席に飛び出していって、バンドの人がそれに続いて客席にも広がって演奏したのですけど、そのときにギターの人と目があって「立って立って!」といわれました。今にして思うと、あれが楊老師だったのですね。
アンコーールの最後の曲、「20歳的眼涙」では、握手もしてもらった(きゃっ!)。 それまでも、会場中を縦横無尽に動き回って歌う陳昇には、いろんな人が手を伸ばして、握手したり、ステージに花を持っていったり。
で、もうこれが最後の曲、もう2度とこの人のコンサートに来るかも分からないし(なんてそのときは本気で思ってたのです)ラストチャンスとばかり、間奏で花道を歩いてくる陳昇に向かって、思い切ってすっくと席を立って手を伸ばしてみました。
彼は、私に気がつくと立ち止まってはくれたのですが、怪訝そうな不思議な表情でわたしの顔を、じっと数秒間にわたって眺めるばかり。 やっと、こちらに来ててを伸ばそうとしてくれた時に、隣の人が「彼女は日本から来たんですよ」と話してくれた。 でも握手はしてくれたのでいいのですが。
そのあと、彼はステージに戻りバンドのメンバーと握手してまわり、コンサートは終わりました。 隣の人と、昨日の隣の人と3人で連れだって会場を出ました。
はじめてみた陳昇。 以前行った、エミールチョウのコンサートの開放されるような楽しさと違って、 「この人の世界は遠くにある」 って思い知らされたようなそんな寂しさを感じました。
握手してもらうとか、花を渡すとか、そんなことをしたい対象じゃなかったはず。 でも、ただそこにいてLIVEを楽しめば良かったのかもしれない。
でも、もう少し経ったらこの体験ももう少し消化されていくかもしれない。 (98年正月の陳昇コンサートを見終わった後の手記をもとにしました。)
☆曲目不完全リスト☆ 関於男人・農夫・南風・給我・マッシュルーム・恨情歌(with任賢齊)・最後一次温柔・把悲傷留給自己・然而(withカレンモク.2日目)・大地・「石包」路英雄・歓聚歌・愛與死・車輪PO・福爾摩沙・擁擠的楽園・最後一盞燈・風筝・鏡子・老嬉皮・半生情・紅色気球・美麗新楽園・離開NI走近NI・子夜二時NIZUOSHEMMO・許多年以前・SUMMER・20歳的眼涙 劉若英2曲、乱弾3曲位、任賢齊3曲くらい、カレンモク2曲(2日目)王識賢2曲(2日目)トレイシーホワン2曲 |
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