GOGO!台湾〜99年夏

 

8月12日

 

午後4時ごろ成田へ。今回は同行者がある。大学時代の友人U氏だ。彼はこの秋から急遽台湾の大学で日本語を教えることになったとかで、打ち合わせのために渡台するのだそうだ。数日前に突然「台湾に行くことになりました。」と連絡が来た。たまたま同じ便を予約していたので、どうせなら一緒に行こうということになった。

 

台湾までの3時間ちょっとは、延々おしゃべりで終わった。U氏に会うのも久しぶりだったし、

台湾に行くのはこれで8回目だが、こういう風に同行者があるのは珍しいことだから、結構興奮してました。

 

中正空港には、台湾人の友人「蛋蛋〜タンタン」が迎えに来てくれた。「さる」という友人の車で。信長が秀吉に向かって「さる!」(日本語)と呼びかける真似を面白がってやっている。相変わらず、無邪気だ。「さる」の本名は「候」というらしい、この発音が「さる=猿」と同じだということで、NHKの大河ドラマファンの蛋蛋は「さる」と呼んでるそうだ。ああ、ややこしい。「さる」クンは愛敬のある丸顔の男の子、もうじき、當兵(兵役)なのだそうだ。

 

もう夜も遅いので、U氏をホテルまで送ってもらい、わたしも泊めてもらう約束の「RB」の家に行く。

RBの家にはお正月に行ったときにも泊めてもらった。相変わらず、肝っ玉母さんのように迎えてくれる(私より年下だけど)

ちっとも変わらない友人達にほっとする。「RBの家はもう私には、FAMILIER PLACEになってきたわ」とRBにいうと「そうでしょうそうでしょう」とニコニコしている。

 

8月13日

 

午前中は買い物へ行き日本から頼まれたものはあらかた買ってしまった。(夏休みの宿題もこんな風に初日に片づける癖がついてたら良かったなあと今更のように思う)これで、後は心置きなく遊びに徹することができる!

 

午後は、台北郊外の天母へ電車(MRT)に乗っていき、「楊先生」の家を訪ねる。楊先生は、陳昇のバンドでギターを弾いていた「楊老師」のお父さんで、ひょんな事から、知り合いになったのだった。5月に母と台湾に来た時に、初めてお会いして、食事をごちそうになったりとても楽しく過ごさせてもらったので、今回は、お礼を兼ねて挨拶に行くのだけど、結局またごちそうになってしまいそう。

駅からタクシーに乗り、住所を告げて、見慣れた坂を上っていくと家の前に楊先生の息子の「楊老師」が待っていた。(どっちも楊先生だから、息子の方は中国語で呼ぶことにする)「どうも久し振りです」なんて挨拶してたら、そこへ「CHICHI」もやってきた。彼女とは初対面。勿論、彼女も陳昇のバンドにいたから、顔も名前も良く知っていたけど。「どうもはじめまして。YOKOです」と挨拶すると「しってますよ〜」という返事。あれ?なんで知ってるのかな?ジムに行ってきたと言って、すっぴんだったけど、すごく可愛いなあ。

 

3人で楊老師の車に乗って陽明山の(天母からだと裏山って感じ)温泉レストランへ向かう。

「楊先生」は先に行って待ってるらしい。店につくと、まだ開店直後の風情で、お客は誰もいない。テーブルに着いて、3人で英語で何だかんだと、つたない話をしていたら(つたないのは私の英語)「楊先生」と2人の孫達が温泉から帰ってきた。

6人で昼ご飯を食べた。

 

「楊先生」に日本から買って来てくれるように頼まれていた日本の雑誌(SAPIO)をわたす。(あとささやかなお土産も)SAPIOという雑誌、実は初めて読んだ。

 

「読みました。実は今まで読んだこと無かったんですけど、結構勉強になりました」

「そうですか。SAPIOは、右翼っぽいと思われているようですが、そうでもないでしょう。なかなかいいことが書いてありますよ」「はあ」

こんな会話。とても台湾の人と話しているとは思えない。お父さんと話してるような感じだ。

 

料理の中に、高菜のような青菜のスープがあった。

「これは、ほら、高菜のような野菜ですよ。YOKOさんは九州だから良く知ってるでしょう。台湾のはちょっと苦みがありますけどね。」

 

私に対して話してくれる日本語は全く完璧で、さらに言葉が完璧なだけでなく、話の内容も全く聞いてて違和感が無い。「長年台湾に住んでます」という日本人のようなのだ。「楊先生」に会うのは2回目だが、日本語が通じてコミュニケーションが楽なのももちろんだけど、この違和感の無さと言うオドロキにはわくわくする。勿論、楊先生御自身の魅力が、会いに行く一番の理由だけれども。

 

食事も済んで駅まで「楊老師」に送ってもらう。「楊老師」は飄々としていて、つかみ所があるような無いような感じ。何にでもはっきりとしたお父さんとは随分違う印象。わたしは友達になったような気はしてなかったが、いつの間にか友達になってたようだ。(いまだに良く分っていない。不思議な感じがする)

 

天母から、台北駅までCHICHIと二人で帰った。彼女は食事の間中おとなしかったが、2人になって話してみると、とても自分の考えがしっかりしていて、面白い女の子だった。英語がとっても上手なので「留学でもしたの?」と聞くと、思いっきり勘違いされてしまった。

「私が留学する」って噂になったのは「昇哥」のせいなんだ。とか話し始める。そんなことを聞いたつもりはなかったけど、面白そうなのでそのまま聞いてた。そうか、彼女にはbandをやめて留学したという噂があったのか(CHICHIはプロのキーボーディスト、半年前に陳昇のバンドを抜けた)・・・。しかし、「昇哥」もなんでまたそんな噂を流したのか?

台北駅に着くまで、彼女の将来の夢の話や今のしごとの話、ジェネレーションギャップの話など吊革につかまりながら、いろいろ話せて楽しかった。

 

一人になってお茶とかして時間をつぶしたあと、CDショップで蛋蛋と会った。彼は、明後日から日本に短期留学するために、今とても忙しいらしい。「いそがしい!あーいそがしいですぅ」といいながら、わざわざ私に貸すための携帯電話を持って来てくれた。セブンイレブンとかで買える「IFカード」というプリペイドカードで料金を払うシステム。。おかげで私は、旅行中携帯電話持ちになった。

 

夜、U氏の新居にお邪魔する。MRT木柵線で終点の動物園まで行って、そこからバスに乗ったところにあるらしい。職場の大学の近くなのだそうだ。駅で待ち合わせをしていたが、さすがにまだ土地鑑の無い彼は思いっきり反対方向のバスに乗ったらしく、随分遅れて現れた。まあ、仕方ないですよね。何しろ台湾に来たもの今回初めてなんですから。

 

新居になるのは、職員宿舎として借りてある普通のマンション。3LDK位ある広い部屋。

「えええ??ここに一人で住むの?いいなあ。いいなあ。今度台湾に来た時のHOTELは決まったね。よろしく〜」というと、本気で困っていたU氏、ごめんなさい。

 

家具は備え付けであるものの、まだスーツケース1個の他は何も無いがらんとした部屋だ。手持ちぶさたなのでお茶でも飲もうと外に出た。入った喫茶店には漫画が壁いっぱいの本棚にぎっしり詰まっている。タイトルは中国語だが、漫画家の名前は、大和和紀とか、日本人の作家だ。そこのお店の趣味か大和和紀は充実していて「はいからさんが通る」「あさきゆめみし」「ヨコハマ物語」「NY小町」いろいろそろっている。

 

U氏は「あさきゆめみし」、私は佐々木倫子の「動物のお医者さん」を取り出して来て鑑賞する。(2人とも中国語が読めるわけではない。でも「動物のお医者さん」は大好きな漫画で、台詞も覚えるくらい繰り返し読んでるから、結構理解できる。)

 

閉店時間までお茶をのみ、しゃべっていた。10時過ぎ蛋蛋がガールフレンドと一緒に迎えに来てくれた。

 

RBの家まで送ってもらう。

今夜遅くにRB、青鳥たちと彰化に行くことになっていた。明日の晩、集集水里である陳昇のコンサートを見るためだ。何時に出発するの?と聞くと深夜2時ごろとか言うのでちょっと仮眠させてもらう。何しろ、去年の夏の台湾旅行では、暑さと疲れで体調を崩して、辛い旅行になってしまったから、今回は十分用心するつもりなのだ。

 

なかなか眠れなかったが、横になるだけでも違うだろうと思って、1時間くらい寝転がってた。

しばらくするとRBに起こされた、お客らしい。

 

リビングに出てみると、ROACHとPONYが来ていた。

PONYは初対面の女の子。やっぱり「昇網」(陳昇ファンのインターネットのサイト)の人とは初対面でも話が弾む。陳昇が時計の広告に出てたときの写真をプレゼントしてくれた。広告会社に勤めてるのかな?ポスターになった写真などがあった。素敵素敵。

 

ROACHには、最近、毎回本を頼まれる。たいがい戦闘機とか(!)の本なのだけど、今回は7冊も頼まれて重かった。でもとても喜んでくれたので、よしとしよう。

 

2時ごろやっと仕事が終わった青鳥が車でやってきた。KITEもいる。女4人で深夜のドライブだ。楽しそうだけど、眠い。途中でKAWAと美腿と合流する。彰化のKAWAの実家に向かうらしい。はじめのうちは元気にKITEと話しなんかしてたけど、だんだん口をきくのもおっくうになって来て、最後はやっぱり寝てしまった。

 

車中ではなぜか、カレンモクのCDがエンドレスにかかっていた。「やめて・・・」心の中では叫んでたけど、乗せてもらってる身だから、おとなしくしてました。。 (カレンモクが苦手なのです)ははは。

 

長くてごめんなさいね〜

8月14日

気がつくと明るくなっていた。車はのどかな田園風景のなかを走ってるようだった。彰化県のKAWAの家は、花を育ててる農家。その辺り一帯も「花園」という同業者が多いようだ。

 

「伊藤園」という看板の前で止まる。「伊藤園」は勿論お茶のメーカーではなくKAWAの家の農園の名前。

「ああ、ついたんだ」と思っていると、また車が動き出し、路地を入ってお寺(廟)のようなところへ入っていく。

「ははぁ、車が停められないから、近所の廟の境内に停めるんだな」

と一人で納得していると、横の建物からおばあさんが出て来てKAWAに何か話している、他のみんなも挨拶したりしている。

「え?なに?KAWAのおばあさんなの?え?ここKAWAの家???だって、お寺じゃないの?」

 

お寺だと思っていたこの建物はKAWAの家のものらしい。びっくり。何でこんな立派なものが家の敷地に建ってるんだろう。読んで下さってる方のために、ちゃんと説明すると、門があって、庭があって、正面に台湾でよく見かける廟のような建物があるのだ。赤や水色や緑、黄色で鮮やかに塗られたその建物は廟にしか見えない。その脇に家族が住む平屋の建物が何棟も建っている。わたしが不思議そうな顔をしているから、青鳥が「KAWAの家はとても伝統的な家なんだよ。台湾でもこういう家はもう少なくなってるの」と説明してくれる。

 
どっからみても廟でしょ??

家族が住む棟も、初めて見るタイプの家。

細長い長屋のような作りになってて、廊下というものはなく、各部屋には外から直接入る扉と隣の部屋に抜ける扉がついている。すべての部屋は全部土間になっていて、靴は脱がない。

 

私たち女4人チームは、一部屋、大きなベッド(これも映画なんかでよく見る、伝統的な箱みたいな天蓋のついてるベッド)に川の字+1になって仮眠を取らせてもらうことになる。でも、蚊が多くて多くて、たくさん刺されました。

かゆくてなられないけど、ここで寝ておかなければ、夜のコンサートで持たないだろう。おやすみなさい。蚊帳を張って寝る。

 

昼ごろ、起きてシャワーを浴びる。シャワー室はこの伝統的な家の中にドンとおかれたユニットバス。昔のお風呂はどんな感じだったのかしら?

KAWAのお母さんが昼食を用意してくれたらしい。台所に行ってみると、精進料理が並んでる。さすが、家の敷地に寺がある家だ、敬虔な仏教徒で精進料理しか食べないらしい。ご飯と野菜、それに日本製だとかいうベジタリアンのハム(豆ときのこから作るらしい)、野菜のスープなどを美味しくいただく。

 

蚊がうるさくてかなわないので(わたしは、そこにいる誰よりも刺されている。小さい頃からそうだった。体質なのかな?)、近所の雑貨やへ虫除けスプレーを買いに行く。おやつなども買い込みいよいよ出発。これから集集線に沿って山を登り、水里のコンサートへ行く。コンサート会場は野外だからそこでも虫除けスプレーが活躍するかな?

 

ローカル線の集集線に沿って山を登っていく。途中で「集集駅」によってみる。

集集駅

観光名所なのか、観光バスも乗り付けていて、屋台も沢山出ていて人もいっぱい。

駅舎は日本時代のものらしく、木造平屋建て瓦屋根。日本人が見たらとってもノスタルジックになるような建物だ。人々は思い思いに記念撮影などをしている。ここにしか売っていないというアイスキャンデーを買ってもらい食べる。いろんなフレーバーがあるが、なんの変哲も無い昔ながらのアイスキャンデーだった。(この昔ながらって言うのが貴重なのかな??)

 集集駅の中

駅舎の隣には集集線の記念館のような建物があって中には敷設当時からの写真などが展示してあった。日本時代の写真にはやはり興味がひかれる。運動会や盆踊りの写真とかもあり興味深し。

土産物売り場には、木で作ったものが多かった。わたしは、いつもの通り絵葉書を買った。

 
駅にはってあったコンサートのポスター

 

この続きは「陳昇水里コンサート」へ。

 

8月15日

 

コンサートが終了してから、台湾各地から(そして日本からも!)集まった陳昇ファンの仲間達は車数台連ねて夜食を食べにいくことになった。夜中だし近くにはなかなかいいところが無いので、空腹を抱えてずーっと山を下り、どこだかは分からないけど、深夜営業している食堂(といっても野外なんだけど)についた。

 

私とよしさんはこれから台南や高雄の方に行く予定だったが、夜も遅いしとりあえず台北の友人にくっついて、昨日のKAWAの家に一泊させてもらう事にした。ところが、ちょうど台南から一人で来ている女の子がいて、台南まで乗せていってくれるという。彼女とは初対面だったけど、お言葉に甘えさせてもらうことに。彼女は「妹妹」と呼ばれていた。

 

妹妹が「台南ではどこに泊まるの?」と聞く。

「どこかホテルに行くつもりなんだけど。ホテルまで連れていってくれる?」

「OK!」

という会話を確かに交わしたのだけど、夜食を食べながら妹妹が「罐頭の電話番号を知ってるか?」と聞く。罐頭というのは、台南に住んでるネット友達なんだけど、なんで彼の電話番号なんかを今聞くんだろう?いぶかしがりながらも「知ってるよ」といって手帳を見せる。

 

妹妹は罐頭に電話をかけ何かひとしきり話していたが、私に手帳を返しながら「今日は罐頭のところに泊まれることになった」というではありませんか!

「え〜?こんな夜中に、申し訳ないよ。ホテルに泊まるからいいよ〜!!」と言ったけど

「大丈夫、大丈夫」とのことで、しかたがないお任せすることに・・・・。いやはや、なんだかほんとに申し訳ないかんじ。

 

食事が終わって、何人かが「ばいばーい」と別れていったので、これで解散なのかな?と思ったけど、半分以上の人は、まだプログラムがあるらしい。中の一人が「YOKO,BOBBYの育った町を見てみたい?」と聞く。そうか、ここは陳昇の出身地に近いから、これからそこへ行くつもりなんだな。

 

確かに、陳昇の育った町には興味が無い訳じゃないし、以前、日本でそこのところを紹介した本も読んだから(何とその本には偶然にも陳昇のお父さんが紹介されていた)、何時かは行ってみようと思ってたけど、こんな夜中に行ってもね・・・・・。

 

ま、夜中のドライブも悪くない。学生の頃良くこういう意味の無い夜中の徘徊をしたものです。なんかなつかしい。

 

暫らく田舎道を走り、一軒の家の前に着く。「ここがそうなの?」と思ったけどちがった。ここで、一人の網友を拾って(彼が案内してくれるらしい)公園に行く。

「一体何ナノ?なんでこんな公園に行くの?」訳もわからずついていく。暗くてよく分からないいけど、結構大きな公園のようだった。途中に白い椅子(リゾートホテルのプールサイドにあるような椅子)が山積みになっていたので一人ずつその椅子を抱えて公園の中央に向かう。「椅子なんか持ってどうするんだぁ?」

 

公園の中央、電灯に照らされたところに、10人くらいのグループが円く輪になって座ってる。なにか、UFOでも呼ぶとかそんなカンジにも見える。夜中にああいう人たちには近づきたくないなあ・・・と思っていたら、みんなどんどん、そのグループに近づいていくではないですか。

「え?何?なんなの?」ますます分からないままだけど、ついていくしかない。

 

行ってみてびっくり。知った顔が何人も!!

そのグループも、水里のコンサートに来ていた陳昇ファンの人たちだった。

なんだ、知ってたからここに来た訳ね。

 

彼らは、何十年前の青春映画のように、ギターを弾いて陳昇の歌を朝まで歌う集まりなのだそうだ。ここでも蚊がすごかった。虫除けスプレー買っといてよかった。(私があんまり虫除けスプレーを沢山使うものだから、知らない人に数ヶ月経ってから、『YOKOってあそこでやたらと虫除けスプレー使ってた人でしょう?』といわれる始末。)

 

私たち合流組みも、一曲だけ歌った。

 

その後、陳昇の家を探そうという試みもあったが、見つからず、いい加減遅いので(2時すぎてた?)私たちは台南に向かうことに。台南までは2時間くらいのドライブだったと思う。高速道路を疲れも見せずにどんどん飛ばして運転してくれた妹妹、どうもありがとう。車の中でもエンドレスで陳昇がかかっていた。

 

5時近くになって台南に到着。罐頭に電話して近くのセブンイレブンまで出て来てもらう。

妹妹にお礼を言って別れ、罐頭の家に。罐頭の家はクッキーを作っているとのことで、シャッターを開けて中に足を踏み入れたとたん、あま〜い香り。

 

家の人を起こさない様に、そ〜っと、階上へ。罐頭は私とよしさんのために一部屋あけてくれ、私たちはお礼もそこそこに、ど〜っとベッドに倒れ込む。爆睡。

 

 

 

 

 

昼ごろ起きる。

罐頭はコンピュータで広告などを作っているのが本業なのだけど、最近お父さんが事故に遭い、怪我してしまったとかで、家業の手伝いもあって今とても忙しいらしい。。

 

じつは、罐頭とは半年前から、この夏私が台湾に行ったら一緒に緑島に行こうと約束をしていて、お父さんの怪我のことで予定を変更したばっかりだったから、罐頭がとっても忙しいことも知っていたので、お邪魔するのはとても申し訳ない気持ちがした。

 

リビングに行くと罐頭が食事を用意してくれた。お母さんが作った肉団子汁みたいなもので、とっても美味しかった。「今日はどうする?」と聞かれたので、

「せっかく台南にきたから、観光とかして・・」というと、「今日は時間があるから、案内してあげられる」という。

 

「だって、家の手伝いとかあるんでしょう?悪いからいいよ、私たちだけで大丈夫だから!」

「今日は日曜だから、時間があるんだ。車がないから、タクシーを使わなきゃならないけど」

 

そんな話で、またまたお言葉に甘えていくことになる・・・・・・・。

 

タクシーで台南市内観光にでかける。すごく暑いのでまず「つぁぴん」を食べに、ガイドブックにもよく載ってる莉莉水果店へ。「つぁぴん」というのはかき氷のこと。台湾のかき氷は、日本のより氷が粗く削ってある。「綜合水果つぁぴん」にはいろんな果物がのっていてとっても美味しい。

暑い台湾の夏を乗り切るには「つぁぴん」が一番!と去年の夏『つぁぴんEVERYDAY!』を合い言葉に毎日食べてたら、体を壊したので、今年はまだ1回も食べていない。

でももう限界だ!!罐頭と『つぁぴんEVERYDAY!』といいあって大好物の「綜合水果つぁぴん」を食べる。至福〜〜。

次は、17世紀、オランダ人が築いた城「赤嵌楼」へ。電話をかけていた罐頭が、「ここでちょっとまってて」という。

なんだろ?と思っていたら、罐頭に電話で呼ばれたらしい友達がスクーターでやってきた。これから、2人で罐頭の家まで戻り罐頭のスクーターを取ってくるということなのだった。

「バイクがあった方が便利だから」

 

罐頭達をまってる間、よしさんと2人でのんびり「赤嵌楼」見物をする。暑い台南の街だけど、海に近いせいか、さわやかな風が吹いて来て、日陰はことのほか気持ちがいい。

 

罐頭達が戻ってきた。罐頭の友達は「BEAN豆子」と名乗った。

高校時代の友人らしい。台北で美術の先生をしてるといってた。

ここからはバイクの2人乗りで、市内観光。よしさんとBEAN、わたしと罐頭。まるでダブルデートのようでおかしい。「孔子廟」「延平郡王祠」などを見た後、ダブルデートよろしく喫茶店へ。ははは。

 

この喫茶店は面白いところだった。表通りから入るんだけどその入り口がとってもせまく、体を横にしないと入れないような通路を通って店の玄関に出る。店の名前も「窄門」(狭い門)。

 

喫茶店では随分話していたような気がする。私は元来なまけものなので、炎天下を歩き回って観光するより、涼しいところに座っておしゃべりするのが何倍も好きだったりする。。。。出るともう夕食の時間で、またバイクに乗り、待ち合わせの場所へ。

いきなり「待ち合わせ」と書いたけど、そもそもわたしが(罐頭との約束も流れたのに)台南に来た目的は、この3日後に當兵(兵役)の「花輪」という網友に頼まれたものを渡すため。はじめは台北から郵送しようと思ってたんだけど、罐頭の都合が悪くて緑島行きが流れて暇になったので、顔も見たいし、ということで自分で持って来てしまったという訳なのです。頼まれたのは「お守り」。

 

そんなわけで、「花輪」と食事をするための待ち合わせなんだけど、時間や場所は、罐頭と花輪で相談して決めておいてくれた。そこには、やっぱり去年お世話になったJIAとKEVIN夫妻も来るらしい。(JIA&KEVINも昇網関係の知り合いで、数少ないわたしと同世代の友人〜とは言っても彼らには小学生の子供がいる「大人」なのですが)

 

花輪は既に来ていて、待っていた。

1年ぶりに会う。まだ20歳そこそこだから、1年見なくても随分大人っぽくなったような感じ。

照れているのか、大人になったのか、あんまりわたしとは話をしてくれない。おねえさんはなんか寂しいよ。

 

待ち合わせの食堂は、台南でも有名な人気の店らしくものすごく混んでいて、とてもゆっくり食事などができる感じじゃない。

JIA達が来るのを待って、移動をする。罐頭やBEANの趣味だろうか?画廊の中にあるレストランに行くことになった。いきなりオシャレな展開。店構えは画廊。彫刻も多い。その展示してあるところを抜けて中庭みたいに開けたところがレストランになっている。すこしレトロっぽいつくり。台湾ではこういうのが流行ってるのか、よくこんな感じのお店に行くことが多い。さすがに画廊がくっついてるところははじめてだったけど。

 

食事をしながら、話をする。が、かなり難しかった、というのもこのメンバーはみんな英語が苦手だからだ。唯一花輪は割と話せるんだけれど、今日はわたしと話したい気分ではないらしく(?)當兵についてKEVINと話している。

 

毎日毎日外国語(中国語と英語)を聞いて話して、かなり疲れてきてたので、無理におしゃべりはせず、のんびりとご飯を食べた。それで、初めて会ったBEANに興味をひかれた。彼は一見クールであまり喋らない。喋るときも低い声でぼそっというだけ。罐頭が笑顔が可愛く人懐っこいのとは対照的。でも二人はとても仲がいいらしいので、BEANもいい人なんだろうと思う。ずっと、だまって人の話を聞いてるので、「この人ここにいるのが面白いのかなあ・・?」なんて心配になってると、突然、自分の好きな話になったりしたときなのか、大声で表情豊かに盛り上がったりしてる。見ていて飽きない人でした。

 

そうこうしていたら罐頭が申し分けなさそうに、

「実は、今夜はおばあちゃんの誕生日で、これから親戚の家に行かなきゃならない・・・・」と話し始めた。

「あれ?じゃあ、今夜は帰りが遅くなるね。じゃ、私たちはどうしたらいいかな?一緒に帰ってもいいし・・・」

とわたしたち。

 

「それだったら、今夜はうちに泊まるといいよ」とJIA。

 

あれれ~。またこんな展開が・・・・。

 

でも、明日は月曜だし罐頭にもこれ以上迷惑かけたくないし・・、と思い切って今度はJIAに迷惑をかけることに決める(なんかひどい、迷惑な旅行者ですね。書きながらつくづく・・・)

そうと決まれば善(?)は急げだ。罐頭とBEANとよしさんと4人で荷物を取りに罐頭の家までいく。家に入ると罐頭のお父さんがギブスをはめた腕でTVを見ていた。挨拶もそこそこさっさと荷造りをして階下に下りる。罐頭がせっかくだからと、クッキー工場を見せてくれる。家族でやってる小さな工場。売り物の大きな袋に入ったクッキー(罐頭のところで作ってるのは、廟で拝拝(バイバイ)をするときにお供えに使うクッキーらしい)を私たち3人とJIAにあげるために小分けにしてくれた。うううう・・・いい人だなあ。でもそんなことしていて時間は大丈夫なのかしら??

 

レストランに戻るとき、信号待ちのところでBEANが「このたびは何のお構いもできなくて申し訳ない」というようなことを言った。とんでもないです!!!!社交辞令なのかもしれないけど、これでBEANの株、更に上昇しちゃいました。

 

罐頭、BEAN、花輪と別れて、JIAとKEVINの家へ。

JIAは今夜会ったときから声がかれていたので、風邪でもひいてるのかと気になってたけど、家に行く途中でその理由が判明した。今は夏休みだから、共働きのJIAたちの子供たちは同じ市内のKEVINの実家にあずけているらしく、迎えに行ったのだ。子供は2人だと聞いていた。でも迎えに行って、おばあちゃんに連れられて出てきたのは4人。夏休みだから、KEVINの台北にいるお兄さん夫婦の子供が遊びに来ているのだそうだ。それで、毎日騒ぐ子供らをしかって叫んで、JIAの声はかれてしまったのだ。

 

やっぱりどう考えても、私たち邪魔してるよね。

自分達の子供が夏休みってだけでも、世のお母さん方はうんざりの筈だし、それに親戚の子たちで、へとへとになってるところに持って来て、言葉も満足に通じない外国人の旅行者。ああああ〜〜。頭が下がります。JIAはわたしより年下なのに、我が身を振り返ってちょっと恥ずかしくなる。こういう反省も、旅のヨロコビ?

 

大人4人と子供4人を乗せて、「この車、絶対定員オーバーしてるんですけど・・・」という状態でJIA達の家へ。彼らの家はなかなかいいマンションでしたが、家に入るなり子供たちが興奮して騒ぎ出し、まるで戦争。とくに子供になれてないわたしは、すっかりカルチャーショック。

 

JIAはさすがベテランお母さん、4人の大騒ぎの子供たちを一人一人着替えさせ、子供部屋はわたしとよしさんのためにあけてくれたので、子供たちは、リビングルームで寝ることに。寝る場所が変ったら変ったで、また興奮する子供ら。見てると微笑ましいけど。

 

興奮した子供らがJIA&KEVINの結婚アルバムを引っ張り出してきた。といっても、結婚写真は大きく引き伸ばしたのもの(A2サイズくらい)がリビングに飾ってあったから、アルバムもきっと直ぐ見れるところにあったものと思われ。

 

「おお!!これが噂に聞く、台湾のなりきり結婚写真アルバムかぁ!」

台湾で観光地を歩くたびにどこでも結婚写真を撮ってる光景にでくわしてた。でもその出来上がったものを見たことはなかったから、興味津々。

 

子供たちと一緒になって、きゃっきゃ言いながら鑑賞させてもらう。

ウエディングドレスありカクテルドレスあり中国宮廷風の衣装あり、日本の着物姿まである。10年前の写真だから2人ともまだかわいらしい感じ。見てる方がちょっと恥ずかしくなる様な写真もあるけど、子供たち(みんな女の子)は素直にお嫁さんにあこがれてる感じだ。うんうん、自分の子供のときもそうだったなあ。

 

子供たちがやっと寝てしまい。大人の時間になってほっと一息ついたときには夜中になってた。JIA達とはゆっくり話をするまもなく、もう寝なくては。

 

わたしとよしさんは、子供部屋でけろけろけろっぴの布団で(足がはみ出ちゃう〜〜)寝させていただいた。いやはや、ありがたいことです。

 

 

8月16日

 

起きて身支度をしたら、もうJIAは出勤していていなかった。KEVINが子供たちを連れてマンションの1階にある朝食やで、朝ご飯をごちそうしてくれた。こういうお店いいなあ。うちのアパートにもあるといいのに。1年前にKEVINに初めて会ったときには、「ハンサムだけどチンピラっぽいぞ。」と思ったけど、どうしてどうして、すごくいいお父さんだ。前言大撤回!!

その姿を見て、またまた反省モードのわたしでした。果たして私に同じ事ができるだろうか?

 

KEVINは仕事があるのに私たちを駅まで送ってくれた。多分遅刻したことでしょう。申し訳ないです。

すっかりお世話になりました。

 

 

台南駅から高雄まで自強号で30分くらい。すごく近い。

高雄に行ったらやっぱり網友のUPに会おうと思ってた。夕べのうちに連絡はしておいたから、お昼ご飯くらいは一緒に食べられるだろう。UPも去年の旅行中、台南で一緒に遊んだ女の子。この夏大学に合格したばかりだからまだ20歳前!でも友達。

 

夏休みだからか、汽車は混んでいてデッキに立ってるしかない感じでした。切符には「無座」と書いてある。30分だったからよかったけど。

 

お昼前に高雄に着く。初めての町だ。

灼熱の太陽が降り注いでる。駅前でさて、UPに電話をしようと思ってたら、いきなり目の前にUPが立っていた。なんてタイミング。なんだかわたしがバトンになって、台湾中の友人達がリレーでもしてるみたいだ。

 

UPと一緒にMARK(彼も昇網の友人、水里にも来てた)も来ていてじゃあまずお昼を食べようということになる。でも、MARKはUPと違って社会人だから今日は仕事があるはず。

「仕事はダイジョウブなの?」ときくと

「セールスだから、結構時間は自由なんだ」とか。

 

MARKもUPも今日は朝6時から、マクドナルドに並んでハローキティーの人形を買ったのだそうだ。ほんと、ここのところの台湾でのキティーちゃん熱にはびっくり。マクドナルドで、限定で売ってる週変わりのキティーちゃんのぬいぐるみにはものすごい人が並んでるという話。実際並んだという人には今回初めて会ったけど・・・。ゲットしたキティーちゃんを見せてもらう。今週のは新郎新婦バージョンだったらしい。ウエディングドレスとタキシード。確かに可愛いけど、そんなに並ぶほどのものなのかな???

 

「MARK,これ可愛いけど・・・誰かにあげるの?」

「いや、自分の・・・・・」

「え?自分のなの?」

「MARKは、はじめはこれが欲しかったんだけど。今朝並んで疲れちゃったから、今ではもうKITTYを憎んでるのよ」とUP.

 

客家料理の店に行く。ガラス張りの吹き抜けのある、こぎいれいなレストラン。味もなかなかよい。

食事の後お金を払おうとしたら、MARKが既に払った後だった。「YOKOたちは外国からのお客さんなんだからお金は要りません」

台湾に来てから、この調子でほとんど食事代を払ったことがない。しかもほとんど初対面なのにわるいよ〜。

「いいからいいから、気にしないで」とUP.

 

「これからどこに行きたい?」とUPが聞く。

「でもMARKはこれから仕事でしょう?」

「いいの、今日の仕事は明日すればいいんだから。明日は情人節でしょう?MARKは彼女がいないから明日はヒマなのよ。忙しそうな振りをしてるけどね」UPは容赦がない。

MARKはなんとも答えず。温和だなあ。

 

じゃあ、どこか1個所くらい高雄市内見物させてもらおうかなあ・・・。と思っていたら、よしさんが

「三地門に行けるかしら?」といい始めた。三地門というのは高雄から山の方に入ったところで、いわゆる原住民の住んでいるところ。よしさんはその更に奥の「好茶村」というところに行きたいのだった。

 

「三地門?好茶村?行ったことないけど、ここから1時間くらいかなあ。行けるよ。じゃあ、そこに行こうか」

ということになる。え?でもMARKは仕事中なんじゃないのかな?山に行ったら夕方にしか戻ってこれないだろう。ちょっと心配になってもう一度きく。やっぱりMARKは答えず。UPが「大丈夫、大丈夫」と答える。なんか変だけど、他に行きたいところがある訳じゃないし、ここは好意に甘えよう。(ホントにやばかったら、MARK自分で言うよね)

 

高雄郊外のドライブは愉快だった。まわりの植物が、椰子にバナナ,ビンロウと南国ムード十分。

 

40分くらい走っただろうか、屏東を過ぎ、三地門の「台湾山地文化園区」の入り口についた。でも今日は休みなのか門がしまっている。MARKが近くの人に、この先、好茶村への行き方を聞いてきた。

 

「入山許可証がいるらしい」

「え?前に来た時には、要らないような事言われたけど・・・」と不思議がるよしさん。

「とにかく警察に行って入山許可証をとろう。パスポート有る?」とUP.

 

幸いよしさんも私もパスポートを持っていたし(ってあたりまえか・・・)MARK,UPはIDを持っている。これらを持って警察署に行き、許可をもらわなくちゃこの先には行けないのだそうだ。(台湾の山地、原住民が多く住む地域には、こういう許可が必要なのだ。)

三地門はちいさな街、この辺りは「水門」というらしい、よしさんは前にも一度来ているそうで、そのときには「好茶村」まで行けなかったのが心残りだったそうだ。警察を探して、入っていくと、原住民のおまわりさんがいた。このあたりは住んでる人もルカイ族とかパイワン族の人たちが多いらしい。

 

MARKがいろいろ交渉してたが、どうやら「好茶村」はかなり厳しく立ち入りを制限しているらしく、「学術調査」「ビジネス」などのきちんとした目的があるか、或いは住人の招きがなければ、許可できないそうだ。ふらりと旅行者が遊びに行けるところではないらしい。仕方なく、警察を出て車に戻る。

 

「え〜っ!ざんねん。どうしよう・・・・」

しばし考えてたよしさんが、「好茶村に行けないのなら、この前来た時に知り合った、ルバルバさんのところに行きたいんだけど・・・」という。

 

「じゃあ、そうしましょう。せっかくここまで来たんですからね。」と私。

「そのルバルバさんってどこに住んでるの?」とUP。

「確かこの近くの筈なんだけど、ちょっと道が分らないの」とよしさん。

「じゃ、もう一回警察できいてみよう」とMARK。

 

警察に行ってきいてみる。しかし、警察の人もよく分らない。

「ルバルバっていう人なんですけど・・・」とよしさん。

「ルバルバって・・・・この辺にはたくさんいるからね・・・・」とおまわりさん。

「え?そんな・・・」

「電話番号とかないの?」とUP.

「ない・・」とよしさん

 

わ、こまった。

 

「あ、そうだ、博物館を個人で開いてる人なんです。」とよしさんが新たな情報を出す。

 

「あ、それなら・・・・この谷を越えた向こうの山に住んでる人だよ。」とおまわりさん。

 

「ありがとうございます!」

よかった、とりあえず川(というより谷)を渡って向こう側の山まで来る。近くになったら見覚えが有る筈だとよしさんは言ってたが、なかなか見覚えのある景色が出てこないらしく、ちょっとやきもき。

 

「あれ?さっきのとこだったのかなあ?」いったりもどったり。

 

最後は、近くにあった小学校で遊んでる子供たちに聞いて、やっともっと奥だと分る。

もっと奥まで行くと、「ああ、ここ、ここ!このお茶やさんのところ!」とよしさんの見覚えのある場所が出てきた。

 

「この博物館なの!」

とたどり着いたところは、原住民のいろいろな彫刻とかで装飾されたひらやの建物。今日は閉まってるようにも見える。近くにいた人に「ルバルバ」さんに会いたいことを告げると、向こうの家に居るのではないかと教えてくれる。

 

よしさんが以前お邪魔したというルバルバさんの家は山の斜面のとても見晴らしのいいところに建っている石板造りの家。訪ねていくが、留守だ。

 

せっかく、ここまで来たのに、家も見つけたのに、お留守なんて。が〜〜ん。

同じ敷地にある観光客向けのお茶やさんの人にも聞いてみる。

「あっちの家にいるよ」と教えられたらしい(実は私はこの辺りの会話は、その時は全く分っていなかった。ただ、よしさんの後にくっついていってるだけってかんじで・・・)

 

別の家の窓から中の人に声をかける。子供がいるらしい。

MARK,UP、よしさんが入り口にまわって、靴を脱いで入っていく。で、私にも入って!と手招きする。『なんで?ルバルバさんのこと聞くだけなんでしょう?何も靴脱いで4人も上がり込む事ないでしょう??』なんて思っていたら、そこにルバルバさんがいたのでした。

 

よしさんが感動の対面をしている。

 

ルバルバさんは、若いときはかなりの美人だっただろうなあ、という感じのおばあさん。

突然の訪問に驚いた感じではあるけれど、どっしりと平常心だ。

 

すごく面白い感じだと思った。ルバルバさんは日本語を話すので、私とよしさんが中心になって会話がすすんでいく。

MARKとUPは、まるで異邦人のようにぽかんとしている。

 

「あなたたちせっかく来たんだから、石の家を見学していったらいい」

といって、さっきの子供を呼んで鍵をあけてくれた。

 

石で作った家。中に入るとひんやりとしている。暑い台湾の気候に合ってるようだ。

壁も床も黒くて薄い石の板でできている。雨戸を開けると裏庭になっててその向こうは谷が大きく開け、そして向こうの山。しごく見晴らしのいい景色が広がってる。絶景かな!とうなりたくなる。

 

家の中にはルバルバさんの旦那さんが作ったという、彫刻などが沢山おいてあった。

そして壁には、日本時代に巡査をしていたという旦那さんの写真。と、日本語の掛け軸、皇室カレンダー。

 

一通り見せてもらって、ルバルバさんにお礼を言って帰ることに。

UPとMARKが庭に落ちてる黒い石のかけらを記念に拾っていると、「その石はね、蚊に刺された時のかゆみ止めになるのよ」とルバルバさんが教えてくれる。

 

え?かゆみ止め?じゃあ私ももらって帰ろう・・・。

 

MARKとUPは「原住民のこういう家にははじめてきた」と言っていた。

よしさんのおかげで私たちもこんな貴重な体験ができた。よしさんどうもありがとう。

 

帰りがけによしさんは、ルバルバさんに教えてもらったトンボ玉を売ってる売店で、パイワン族のアクセサリーを買ってくれた。きれいだった。

 

「あなたたちね、今度来るときには新暦の8月15日にきなさいね。この辺でお祭りがあってとてもきれいだから」

とルバルバさんに言われて、よしさんは、また来年きっと来ようと思ったに違いない。

 

高雄まで車を飛ばして帰る。よしさんとはここでお別れだ。よしさんは香港から遊びに来てる友人と高雄のホテルで今夜合流することになってた。そして、私は今夜飛行機で台北に戻る。

 

ここまで、なかなか珍道中だった。楽しかった。

よしさんをホテルまで送って、その足で、空港まで送ってもらった。

MARKにはすっかり今日の仕事サボらせちゃったなあ。ごめんね。ありがとう。

 

空港に着くと、各航空会社のカウンターに「台北19:30」とか「台北20:00」とかって札が出てる。ぐるっと見回して一番早い「19:20」のカウンターへ行くが、時計を見るとすでに「19:20」でも、まだチケットを売ってるようだ。UPが「この飛行機はDELAYだから、まだ大丈夫」と説明してくれた。

 

パスポートを見せてチケットを買いお金を払って搭乗口へ。

お礼もろくに言う暇もなく「YOKO,機内に入るときは携帯電話の電源を切るのを忘れない様にね!」などと子供の様な心配をされながら見送ってもらう。まるで電車の駆け込み乗車のように、飛行機に乗れた。こういう体験も面白い。飛行機っていつも乗る前に嫌って言うほどひまのある乗り物だと思ったのに。今回は高雄の空港の様子もろくに覚えていない。

 

台北までは50分ほどのフライト。あっという間だ。

UP,MARKに感謝しつつ、強烈な冷房に凍えながら、眼下に広がる台湾の緑の大地を堪能しながら、台北へ。

 

****この後台北には無事着き、松山空港から行天宮へ行ったりました。

おりしも情人節の台北、なんだか寂しくなり、蛋蛋から借りてた電話をかけまくり、友人を呼び出したりして、残りの2晩過ごしたのでした。

 

またまた楽しい旅行でした。みんなありがとう!

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