2002年台湾への旅5〜屏東

2002年1月2日

 
下の写真は、九月に来た時に買った台湾の鉄道の時刻表です。これに台湾のすべての列車の運行が網羅されているらしい。すごく薄いので、日本の時刻表に慣れてると、「これで全部?」という気になりますが、台湾は九州くらいの広さだということを思えば、当然ですね。

今日はまず、高雄から屏東へ行き、祖母の通っていた女学校跡の高校であの校舎の写真を撮り、そのあと夕方、屏東から台東までいくつもり。今夜は台東に泊まろう。

■ホテルの朝食

ゆっくりしようと思っていたので目覚ましもセットせずに寝たけど、8時半には目が覚めた。ホテルのダイニングルームへ。ブッフェだ。考えてみたら、台湾にこんなに来てるけど、朝ごはんの付いたホテルに泊まったことなかった。メニューも味も可もなく不可もなくといったところ。これなら、街に出て、おかゆとか、豆乳とか食べた方がいいとおもった。

11時ごろ、友人(光光)から電話。彼女の家まで行くことにする。チェックアウトを済ませて、ホテルからタクシーを飛ばして、教えてもらった住所へ。友人は日本に留学していた人なので日本のコンピュータを持ってる。30分ばかり、インターネットをさせてもらい、久しぶりに自分のHPの掲示板などを見に行った。

たくさんかきこみがある〜〜〜!うれしい!みなさんありがとう〜。

近くの九州ラーメン店で昼ご飯をご馳走になり、またタクシーで駅へ。

 

■高雄から始まる鉄道の旅。

高雄から屏東までは、自動販売機で切符を買った。台湾の鉄道は「全席指定」のイメージがあるけど、近距離列車には、普通の「電車」というのがあります。きっぷの大きさも、日本の電車と同じくらい。電車の座席も同様。

高雄駅のホーム。キオスクは「民営販売亭」。
そういえば、「キオスク」ってロシア語由来なんでしたっけ?
(調べたら、トルコ語だそうです)

■屏東駅荷物預かり所

30分くらいで屏東に着く。大荷物を持っては街歩きができないので、預けたいと思ったけど、コインロッカーのようなものは見当たらない。駅の荷物預かり所に預けようと思う。でも言葉が分らない(涙)。まずトイレに行ってガイドブックを見る。ガイドブック持っていってよかった。(巻末の旅の会話集などが役に立つ)

「荷物を預ける」=「保管 ばお(3)ぐぁん(3)」と確認。何度か小声で練習(笑)。

荷物預けのコーナーには、おじさんが3人くらいいて何か仕事をしてる。チッキも扱ってるみたい。こういうところ、日本でも利用した事ないよ〜。係りのおじさんは、ビンロウで口が真っ赤。こわいよ〜。それに噛みながらだから、言葉が聴きとれない〜〜。

「すみません、この荷物預かってもらいたいんですが」
「8時までだよ」
「5時までお願いします」
「何?5日間??8時までだよ」
「5時にもどってきます。」

・・・・・

何とかかんとか、預けることに成功し、紙の切れ端のような引き換え証をもらって、お金を20NTくらい払った。最後におじさんが「中に貴重品は入ってない?」といったのはすごくよく聞き取れた。なんでかな?よくわかる中国語と、全くわからない中国語がある。仕方ないけど。不思議。

身軽になったところで、今度は台東までの切符を買いに切符売場へ。5時の自強号にのろう。窓口で

「今天、下午5點的自強号、到台東、1張」というと

「こりあ?」といわれる。

え?「こりあ」って中国語ぽくない響きだな〜。もしかして台湾語?なんて思っていたら、英語で「韓国人か?」と聞かれていたのでした(笑)。「我是日本人」というと、切符売りのおじさんは「さんびゃくじゅうろくえん」と日本語になった。私、韓国人に見えるのでしょうか?見えるかも。

 

■いざ屏東の街へ

屏東は田舎町だと思った。でも大衆レコードもあったし、デパートもあった、あとから行った台東にくらべたら、都会だったな〜。台北の本屋で屏東の市街図は購入済。地図フリークの私としては地図があればどこでも不安なく歩けるから。

汽車までの空き時間は丁度2時間。目指すは「屏東女中」。地図でみると、駅から徒歩20分くらいの距離。地図を片手に、さくさく歩く。

ここ屏東は、祖母が女学校時代に数年間住んでいたところ(寮生活をしていたらしい)。古いものなら祖母も覚えてるかも、と、途中の廟の写真↑を撮る。

ちょうど屏東では県会議員か何かの選挙中だでにぎやかだった。普通の時ならもっとしっとりとした落ち着きがあると思うけど、目抜き通りにはずらっと候補者ののぼりがたっていて、カラフル→。

 

さすがに南部、歩いていたら汗ばんで来て、上着を脱ぐ。

歩道を歩いていると、車が寄って来て「小姐。中華路在那裡?」というようなことを聞かれた。台湾の街を歩いていると、暇そうに見えるのか、よく道を聞かれる。ふだんなら「對不起、我也不知道」というところだけど、今日の私には地図がある。しっかりおしえてあげました。でも言葉もろくにしゃべれない外国人に道を教えてもらって、あの人は変な感じだっただろうな〜(笑)。

 
「屏東女中」のとなりの中山公園

■国立屏東女子高級中学

ついたついた。
ここへ来た目的は、祖母が70年前通っていた学校に来て、今も建っているであろう日本時代からの校舎を写真に納めること。学校の周りをぐるっと廻ってみたけど、それらしい建物はない。こういうのはあった。→古い日本家屋。


老朽化しすぎて住む人はいない。取り壊しを待っているところのようにも見えた。台湾各所に残る日本家屋ももうどんどん古くなるので、見かけるほとんどが廃屋だ。すこし残念ですね。

 

■校門に警備員さんがいる!

正門まで行った。立派な門構えで、警備員室があり、出入りする車両もチェックを受けてゲートをくぐるようになっている。ちょっと厳重な感じ。

日本の自分の母校をイメージしていた私は、ちょこっと校内に入れるだろうと思ってたけど、そんなカンジじゃない。仕方が無い、せっかくここまで来たんだから、中に入れてもらえるか頼んでみよう。

「請問一下。我是日本来的、我可不可以進去?」

案の定、警備員さんは、怪訝そうに

「入って何をするのですか?」と聞いてくる。

怪しまれて門前払いされたらいけないと思って、一生懸命愛想よく、事情を説明した。この学校が祖母の昔卒業した学校だということ、中に入って写真を撮りたいだけだから、短時間でいいことなど。つたないながら、頑張りました。

すると警備員のおじさんは

「自分じゃ決められないから、先生に聞いてみるので、ここに座って待っててください」と警備員室の中で待つように言われました。椅子を勧められるままに、中に入って座っていると、教員室とかに電話をかけてくれてるようです。

「日本人が来てるんだけど・・・・・・・言葉もよく分らないんだけど・・・」みたいな話をしている部分だけ、聞き取れた。は〜、お手数かけます。責任者がいなかったのか、警備員さんは何度も電話をかけたあと、やっと私の方に来て

「教員室の先生に話しておいたから、入っていいかどうか先生に聞いて見てください」というようなことを言われました。で、教員室の場所を汗をかきかき一生懸命教えてくれました。なんかおおごとにしちゃったな、すいません・・・。

学校の中は建物がいっぱいあって、どれが教員室がぜんぜんわからない。警備員のおじさんが心配そうにこっちをみている。「これですか?この建物?」とおじさんに身振りできいてOKが出たとこが教員室だった。

 

■教員室で許可をもらう

教員室に行くと、大体の話は通っていた。

「授業中だから外の写真撮るだけなら大丈夫」といわれた。

「もちろんです。」と答えて、さっそくカメラを片手に、校内見学。

・・・・・・う〜ん、授業中だ。

英語の授業や数学の授業などいろいろやってる。教室に面した廊下は外になってるので、先生の声がよく聞こえる。

運動場に出てみると。ソフトボールの授業やってた。テニスの授業をやってるクラスもあった。遠くから写真を撮らせてもらう。さすが女子校、きゃーきゃーさわぐ声がにぎやか〜。

 

学生寮もある。高校なのに。すごいな〜。
視聴覚室の入ってる新しい建物のロビーに古い写真が展示してあった。「もしかしたら日本時代のかもしれない。みたいよ〜。でも建物の名かは駄目って言われたし・・」とガマン。

あの日本時代からの建物を探して学校中歩きまった。でも見つからない。

「あれ〜。この学校じゃなかったのかな?それとももう壊れちゃったのかな?」

考えていても分らないので、教員室にもどる。

「見終わりましたか?」と、さっきとは別の先生が声をかけてくれる。

「あの・・・ちょっとおききしたいんですけど、古い建物はもう無くなってしまったのですか?」

「あ〜あれね、あれは数年前に取り壊されたんですよ。」

が〜〜〜〜ん!!
そうか〜。壊されちゃったのか。まあ仕方ないな。
ばーちゃんに見せてもらった戦後の同窓会の写真だって、10年以上前のものだったし。あ〜でも残念。あの建物の前で写真とって、ばーちゃんに見せたかったよ〜〜〜。と悔しがってたら、その先生が、せっかく日本からきたのにかわいそうにと思ったのか、

「ちょっとここで待ってて、その建物の写真を見せてあげます。もうすぐ授業が終わるから、それを持ってる先生に頼んであげる」

といってくれたので、そのまま教員室で待つことに。教員室の簡易応接セットに座っていると「中国語読める?」といって新聞を持って来てくれた。私はひたすら恐縮。

あ〜職員室だ〜。もう○年入っていないなぁ。

きーん!こーん!かーん!こーん!

日本と同じような音色のチャイムが鳴って休み時間になった。
先生達が授業から戻ってくる。何か恥ずかしい。でも写真を持ってる先生は、おそいな〜。とおもっていたら、いきなり目の前に女子生徒の集団がいる。(というか取り囲まれてる)一番前にいた子が日本語を上手に話した「何か困ってるの?と、どうやら、私のことを聞き付けた先生が日本語を話せる生徒を連れてきてくれたらしい。(日本に8年住んでいたということで、とても助かった)

その子だけでなく、他の生徒まで「ナンダナンダ?」とばかりに教員室にやって来ている。何か楽しくなってきた。初めて台湾に来た時、あちこちでこういう風に取り囲まれたことを思い出した。その時の印象が私をここまで台湾に惹き付けてるとも言えるけど・・・その話しはまたの機会に。

 

その日本語を話せる生徒に事情を話して、建物が無いなら、せめて視聴覚室にあった古い写真を見たいと頼んでみると連れていってあげましょう。ということになった。

また鐘が鳴って、休み時間は終り。でもその生徒は通訳として一緒について来てくれた。

「授業は大丈夫なの?」ときくと
「先生に言ってきたから大丈夫。それに数学好きじゃないし・・・」と何とも学生らしい答え。微笑ましいい。
「そんな事いって、数学なんて一回授業聴かなかったらあとで取り戻すの大変じゃないの?」とおねーさん風を吹かせてみる。
「もう3年だから、実は今やってるのは復習なの。だから大丈夫」だそうです。

 

視聴覚室前に展示されてた古い写真はやはり日本時代のものでした。

古い木造校舎、修学旅行、運動会、卒業写真などが20枚ほど大きく引き伸ばされてました。もってかえりた〜い。でも無理なので写真に撮りました(比較的きれいにに撮れた写真はこの1枚だけ→)。中に祖母が持っていたのと同じ卒業写真があったような気がした。(卒業写真はどれも似た構図なので、確信は持てないけど)ばーちゃんが写ってるようにも思える。だったらすごくおもしろい。熊本に帰ったら確認してみよう。

生徒達はここにこういう写真が貼ってあったことを知らなかったらしい。「へ〜こんな古い写真あったんだ〜」なんていいながらみてる。
先生もみてる。
 この写真の建物で70年前、あのばーちゃんが生活してたんだな〜。そう思うと、自分のオリジンと台湾がつながる、不思議な体験だった。

 

親切にしてもらってもうちょっと話しをしたかったけど、汽車の時間が後15分後にせまっており、あわただしくお礼を言って、記念に写真を撮らせてもらった。

親切な先生と日本語の上手な生徒さん。制服姿が可愛い。

 

「住所を教えてもらえれば、古い校舎の写真を焼き増しして送りますよ」
と言われて、住所を渡して来たけど、その前にお礼状を書かなくちゃ。
古い写真が送られてきたら嬉しいな。

門のところまで戻ると、警備員のおじさんがニコニコ顔で迎えてくれた。
「WELCOME!WELCOM TO 台湾!また来てね」と英語と中国語で何度も言ってくれて、うれしそうでした。

おじさんのおかげです!ありがとうございました。

校門のところに運良くタクシーが客待ちしてたので、駅まで飛ばして荷物を受け取って、自強号に乗り込みました。まにあった!よかった。

 


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  6へつづく

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