9999滴眼涙

 

要不要帯點魚回去煮?

波止場の上で、彼はただひとり釣り糸を垂れていた。その姿だけで年齢を推測しようとしても、容易ではなかった。彼は微動だにせず、起伏する潮水を眺めている。今、何を考えているのだろうか。

僕は自分の習慣を破り、ゆっくりとそばへ歩み寄った。彼から自発的に声をかけてくれるだろうと思い込んでいたのだが、おもむろに頭を廻らせただけで、顔には想像していたような表情は、露ほども浮かんではいなかった。まだ若い、二十代だ。この地方に来て二日、町全体でも、彼のような年齢で、都会へ生活の道を求めることなく留まっている若者は、何人も見かけなかった。僕はとても知りたかった。こんな辺鄙な片田舎で、何によって暮らしを立てているのか。僕が尋ねると、彼は答えた。「魚を殺してる・・・・・」。そのあと、また静かに潮水を眺めている・・・・・。

遠山はゆらゆらと立ち上る靄の中に姿を隠していた。太陽が暖かく身体を照らし、少し風があるが、また糸のように細い雨もどこからともなく舞い落ちて来る。降っているのか、いないのか、判然としない雨。ゆっくりと、僕は自分も変化してしまったことに気づいた。もう何も考える気にはならない・・・・・。

太陽が山に沈みそうになった時、若い漁師は、眠気から僕を呼び覚まし、相変わらず無表情な顔で言った。「ちょっとしたら風が出て波が起こる。ここにいては危険だ!」、言い終えると行ってしまう。彼の姿が波止場の果てに消えてしまうのを、僕は眺めていた。

 

二日目の朝、早起きして、そぞろ歩きながら魚市場まで行くと、市場一杯に腹を開かれ内臓を除かれた魚が並べられており、僕は物珍しさを感じて興奮してしまった。ほどなく、若い漁師が魚の山から顔をあげるのに気づいた。何人かの手伝いの老婦人が、朝、港に停泊したばかりの漁船から、大きな魚を次々と運んで来るのだ。慣れた手つきで魚の腹を裂き、内臓を切り取る彼を、僕は見ている。真剣で一心だ。時にその動作をいくらか誇張することがあるが、まるで我儘な子供が、ただそばに居る人の注意を自分に引きつけようとしているかのようだ・・・・・。

彼が実際にはもう気づいていればよいのに、と期待する。僕が遠くない場所に立ち、包丁を操っている彼を見ていることに。この場所、この時刻においては、彼こそが真の主人公なのだ。僕たちはふたりとも、それを理解していたに過ぎない。

彼の背後に広がる、表面的には欲求など完全に存在しないかのように見える、静かな海。それはまるで若い漁師の心のように、ほんのわずかな不純をも拒否している。

彼はしばし仕事の手を止め、身を屈めて手近の布巾を掴むと、両手の血や汚れを拭い去り、おもむろに僕の方へ歩いて来た。顔にはやはりこれといった特別な表情は見せずに言う。「少し魚を持って帰って、煮るかい?」。しかし答も待たずに船に飛び乗り、海の果てを眺めながら、小声でつぶやく。「まだあと二艘、今日の夜に帰って来る・・・・・」。

称賛であれ軽視であれ、若い漁師にとっては、どうでもよいことなのか・・・・・。

僕は彼を褒め称える話をしたいと思う。この辺鄙な漁港に留まることに、甘んじていられる平常心を褒め称えたかった。反対に彼を軽蔑する話をしたいとも思う。他人がいわゆる奮闘というものに、営々汲々と励んでいるこの時、彼はといえば年齢や環境を無視し、心の中に存在しているのはただひとつのことだけ、自分と魚の関係だけだということを軽蔑したかった。 

 

冬天是『夢』的季節

 夏の僕は木製の鶏のように空ろ。秋は詩と農夫の収穫の季節。冬、僕は活動を休止し、肢体を一種の半休眠状態に置く。しかし『想像』は翼を伸ばした天馬のようだ! 決して鞍をつけることのできない勇壮な獣。果てしのない空間を思いのままに駆け回り、主人の心の内にある、最も脆弱な部分にうっかり触れてしまったからといって、済まないと思ったりはしない。そんな風にしきりに騒ぎ、そんな風に大げさに行動する。

 暗い夜が彼の唯一の牢。ただ夜の帳が下りる時だけ、宿主とともに、静かな人を傷つけない状態に彼を送り込むことができる。それでも時折、その場に安住しようとはせず、かすかな苛立ちの身振り、物音が夜の牢獄から不用意に漏れ出て来る。その種の知覚、ある人はそれを『夢』と呼ぶ。

 夢の中の出来事は、喜、怒、哀、楽にかかわらず、また恐れや怯えであろうと、それを事実であると見なしてはいけない。

 なぜなら、それは天馬の翼。飼い馴らすことのできない勇壮なあの獣が、激しく夜と闘う時、極度に狭い夜の牢獄の中で、力いっぱい悲しみに泣き叫び、壁にぶつかり、乳白色の翼が牢の隙間からそっと滑り落ちて来るのだ。

 朝、夢現で目覚めると、しかし嘆息のほかには、もうどこにも何も見当たらない・・・・・。

 冬は『夢』の季節だ。

 

 

9999滴眼涙

 あの年、僕は十九歳。忠孝東路にはまだ一軒のカラオケ店も見当たらなかった。だから、自分の気持ちを慰めるために、他人の悲しい歌を歌いに行くことはできなかった。ある時、おずおずと富麗華というレストランの門口に立ち、そこで歌っているピアノ弾きにメモを差し出して言った。「おじさん! 僕のためにこの歌を歌ってくれませんか・・・・・」。(これが思い出させるのは、サン・テグジュぺリの書いた、彼に羊の絵を画いてくれと頼む星の王子さまだ)。彼は優しい眼差しでメモを開き僕に言った。「九千九百九十九粒の涙! 上がって来てお座り! お兄ちゃん! 僕には君の気持ちが分かる気がする」

 あの夜、レストランが看板になったあと、僕はひとり頂好広場前の道端に座り、一晩泣き明かした。

 十九歳のあの年、僕は多くのことを学んだ:ひとりで生計を立てることを学んだ:欺瞞を学んだ:煙草を吸うことを学んだ:歩道の赤煉瓦をひとつずつ数えることを学んだ:酒を呑むことを学んだ:自分の顔に仮面を被せることを学んだ:この誘惑の都市に放逐された時、心がざわめくあの名状しがたい思いをいかに処理するかを学んだ:当然、自分の悲しみをいかに包み隠してしまうかをも学んだ・・・・・。

 造物主は人間を何と拙劣に造られたのだろうか! 手に入れたその時から、失い始めることになるというのに、それでも僕はどうしても手放すことができない。なぜなら、別れの痛みを知っているからだ。それなのに君が僕に与えようとする、そして僕が君に与えるべき、喜び、満足を、大切にいとおしむこともしようとはしない。

 僕はこれらのことを記録して、人に伝えて行こう。僕たちにも子供ができるだろう。男の子であれ、女の子であれ、彼らがみな僕の愛の証を目にしてくれることを希望している・・・・・。

日本語訳:VIVIEN LIU

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